道と日本人(縄文思想と日本人)
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レインボー

道と日本人(縄文思想と日本人)
Going my way(我が道を行く)という言葉があります。「バカの壁」で有名な養老猛司先生が、学生に「人生に道はあるのか」と聞かれ、「人生に道はない、道があるとすれば目の前にある穴のある道で、その穴を埋めてきたのが我が人生だ」、と「バカの壁」続編で述べていました。
一方、道に関し、横綱の起こした暴力事件では、モンゴル人力士には勝つことばかりが目標で相撲道がない、ということが問題になっています。
関連し、今回は、道と日本人について、縄文思想との関りで愚考します。
日本人は道を究めることに美を感じます。おそらく、すべての芸に道があります。そして、それぞれの道は、先輩から後輩に受け継がれていきます。そして、優れた者は道を究めることができ、そこに流派が生まれます。
拙ブログでは、日本人の心の底には縄文思想(自然との共生思想)が流れていることを検討していますが、道という概念は、自然との共生思想そのものかと思われます。自然との共生思想では、無駄な殺傷は行わない、無駄な戦いは行わない、対立よりも和を重視します。
そして、その和に合った道を追及します。新しいものの発見に至ったとき、道を究めたと評価されます。例えば、ラーメンですが、ラーメンを究めた人は、弟子に「のれん分け」ができます。
縄文時代、日本人は、自然との共生思想を持ち、自由な精神を持ち、自由な発想で生きてきました。この期間は1万年以上もあります。おそらく、この中で、道を究めることの面白さを知ったのだと思います。そして、面白いと思うこと、これが道を究めるポイントだと多くの人が指摘するようになりました。
一方、外国人がよく話すGoing my way(我が道を行く)ですが、この道は属個人的であり、日本では人気がない感じがします。50年ぐらい前になりますが、私も学生の頃、自分の道を求めてさまよったことがあります。1か月以上授業には出ず、ひたすら、それを追及しました。しかし、そのようなものはありませんでした。「あるのは目の前にある穴で、その穴を埋めてきたのが自分の人生だ」、という表記の養老猛司氏の言葉は、今、実感としてよく分かります。
まとめますと、道には個人の道と芸の道があり、日本では、個人の道よりも、芸の道が重要だということだと思います。そして芸の道は究めることに美を感じるというのが、縄文時代からの日本人の特徴かと思われます。
なお、上と下の写真は、記事と関係ありませんが、冬らしくなってきた我が菜園の現在の様子です。私ことですが、自然との共生を目指し、無農薬、無耕起、無堆肥という農法で菜園の道を究めようとしているところです(笑)。


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