古代北九州ではマレー語が使われていたようだ(日本語のルーツ)
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レインボー

古代北九州ではマレー語が使われていたようだ(日本語のルーツ)
拙ブログでは、日本語は最初に住み着いたアイヌ系の言語がベースになり、次いで来たマレー系が中国との交流を経て万葉仮名を導入し、その発音様式が日本語発音となり、現代の日本語が形成されるに至ったと推察しております。
すなわち日本語は、文法はアイヌ系、発音はマレー系となります。そして、単語は、アイヌ系を基本に、マレー系、ツングース系、中国系、欧州系などが加わっていったと思われます。
今回は、北九州方言「ソウヤロ」等の語源はマレー語だったことについて愚考します。
魏志倭人伝に、倭国の人々の習慣や容姿は中国海南島の民族に似ている、とあります。拙ブログでは、そこにはマレー系の人々が今でも多数住んでいますので、倭国の人々は海南島由来のマレー系の人々であると推察しております。
また、倭国の場所ですが、女王国(倭国)の境は奴国(今の博多市南部辺り)ということですので、倭国は現在の福岡県、佐賀県、長崎県、熊本県を含んだ地域、その中心地は、今でも稲作が盛んな筑紫平野かと思います。ということは、そこでは、マレー系民族の国ですので、古代ではマレー系言語が話されており、それに由来する方言が残っているものと期待されます。
偶然にも、仕事の関係で、その筑紫平野の中心地の筑後市に私は4年間住みました。そして、その方言にも接したわけですが、そこでは、ソウヤロ、バッテン、カタラント(参加しない)、など東北生まれの私には馴染みのない言葉で出くわしました(笑)。
そこで、まず、「ソウヤロ」をマレー語で直訳しますと、ソウ(Sah)=妥当(valid)、ヤ(Ya)=Yes、ロ(Roh)=精神(sprit)で、「Yesでしょう」という意味になります。すなわち、方言と同じ意味です。
次いで、バッテンですが、バッテン(Batin)=異世界、あの世(Otherworldly)で、方言とほぼ同じ意味になります。
そしてカタラントですが、カタ(Kata)=言語(Word)ですから、方言とほぼ同じ意味になります。
以上の例から察しますと、北九州方言にはマレー系言語の影響が残っていると思われます。
ということは、魏志倭人伝にある倭国は、拙ブログ推察のとおり、それはマレー系民族の国であり北九州にあったと思われます。
なお、上と下の写真は記事と関係ありませんが、マレーシアの古都マラッカにあるサンチャゴ砦です。この砦はポルトガルによって作られたものですが、この門をくぐり、上に登っていくと、最上階にフランシスコ・ザビエル像が立っていました。彼は日本にキリスト教を布教した人物として有名ですが、案内には、「ポルトガルは商売熱心でキリスト教の布教には熱心で無かったとザビエルが嘆いた」、とありました。


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