エカタシロ(ワカタケル)大王の意味(邪馬台国と日本人)
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エカタシロ(ワカタケル)大王の意味(邪馬台国と日本人)
前回(4日前)、埼玉古墳で見つかった「稲荷山古墳出土鉄剣の碑文」について、そこに記されている王の名前はワカタケルでなくエカタシロであったことを紹介しました。
今回は、エカタシロ大王の意味について愚考します。
まず、埼玉県稲荷山古墳出土鉄剣の碑文の「獲加多支鹵」大王ですが、これは、万葉仮名では「ワカタケル」と読めない。あえて読めば「エカタシロ」、あるいは「エツカタシロ」であることを、「獲加多支鹵の訓は "ワカタケル" で正しいか -銘文を中古音で訓む-」の情報から指摘しました。
一方、「獲加多支鹵」大王の名前については、熊本県の江田船山古墳出土の鉄刀銘文にも同じ名前があることが知られております。古墳の時代が5世紀末~6世紀初ですので、埼玉古墳と同時期のものと思われます。そして、これも「ワカタケル」と読み、幼武(わかたける)と呼ばれていた雄略天皇のことでないかと言われております。
しかし、当時の5世紀後半の状況は、熊本(九州)も埼玉(関東)も畿内の支配が及んでいなかったことが明らかです。因みに、拙ブログでは、熊本は倭国の大王(武)の支配下にあったという説を支持しております。また、関東には別の大王が居たと考えています。
一方、鉄剣碑文文字は万葉仮名が使われていますが、当時、北九州の倭国に居たマレー系の民族がマレー語の万葉仮名を使い、中国と交流していたことを拙ブログでは指摘してきました。
そこで、「エカタシロ」大王の意味をマレー語で翻訳しますと次のようになります。
エカ(eka)=一つ(single)、タシ(tasih)=愛(love)、ロ(roh)=精神(spirit)、すなわち、エカタシロ=愛の精神をもった者=慈悲深い者(大王)
すなわち、この解釈を取るなら、「エカタシロ」大王は、個人を表す固有名詞でなく、偉大な大王を表現するときの枕言葉となります。
そして、なぜ、エカタシロというマレー語表現が関東でも使われたのかですが、それは、稲作拡大とともに、稲作を担っていたマレー民族が関東にも拡大し、九州の倭国のエカタシロ大王が関東にも知られていたからと思われます。詳しくは後ほど紹介したいと思います。
なお上の地図は、それらの状況を示した5世紀末~6世紀初頭の日本の状況です。

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