古代水田稲作で最も重要な農具(稲作と日本人)

古代水田稲作で最も重要な農具(稲作と日本人)
アジアの天水田では、雨期に雨水を貯め、その水で稲作を行いますので、立派な畦を作るのが普通です。一方、私は、ナイジェリア西隣側にありますベナン国(もと奴隷海岸)でアフリカ稲の開発のために2009~2011年の2年間従事しました。そのとき、アフリカ大陸の伝統的天水田を見ましたが、畦がないのには驚きました。
アフリカの天水田に何故畦が無いのか考えますと、畦を作るための鋤などの農具がないこと、歴史的に畑作が中心のため稲は陸稲が中心であり、水田を作る発想が弱かったことが考えられます。関連し、今回は、古代水田稲作で最も重要な農具について愚考します。
まず、上と下の写真は、大陸アフリカの焼畑農耕民の農具で、木を伐採するための蛮刀(Cutlass)と除草用の小さなアフリカ鍬(African how)です。彼らが持っている農具はこれらだけです。

一方、私は、マダガスカルで2015~2017年に稲開発に従事しましたが、ここは棚田を中心とした伝統稲作が盛んで、アジアから移住したマレー系の人々が水田稲作をしていました。そして、農具ですが、マダガスカルの農民は鋤(すき)を持っていました。その様子を下の2枚の写真で示します。


この写真では、鋤1本で、水田を耕していることが分かります。彼らは、この鋤1本を使い、少しずつ水田を耕し、水を入れ、代掻きを行い、田植えをしていました。アフリカの焼畑は、焼いた後、掘り棒で穴を開け、そこに播種し、雨で発芽した後は、簡単な除草を行うだけの作業ですが、マダガスカルと大きな違いがあります。
おそらく、この鋤があるかないかが大陸アフリカ稲作とマダガスカル稲作の違いだと思います。そして、マダガスカルはアフリカではなくアジアだ、と言われるのも、この農具の差ではないかと思われます。
まとめますと、水田稲作に最も重要な農具、それは土を掘り返すための鋤と思われます。この農具は、前回も紹介しましたが、古代には、このような農具を用いて水田の畦作りや水路の造成等を行っていたと思われます。

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