万葉仮名のルーツは百済で使われていた漢字(日本語のルーツ)
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レインボー

万葉仮名のルーツは百済で使われていた漢字(日本語のルーツ)
拙ブログでは、マレー語の発音は日本語の発音とほぼ一致し、かつ、日本語の発音のルーツは万葉仮名にあることを指摘してきました。そして、日本語は、先住民族のアイヌ系言語をベースに、後に来たマレー系民族の発音様式が万葉仮名を利用する過程で取り入れられた、と推察しております。
すなわち、万葉仮名=日本語発音=マレー語発音になりますが、今回は、その万葉仮名(漢字)のルーツは、百済で使用された漢字にあることについて愚考します。
まず、万葉仮名は最初の日本文字ですが、仏教経典などと一緒に百済から6世紀頃導入されたと言われております。
百済は3世紀頃から中国に朝貢していたことが分かっています。このとき、中国は漢が滅びた後の魏・蜀・呉3国時代ですが、百済は、そのルーツからも地理的関係からも南方の呉の国と関係が深かったことが推察されます。
これらのことから想像しますと、3世紀頃、百済は中国の呉の国に朝貢する過程で漢字を導入し、それを万葉仮名風に地名や人名に使っていたと思われます。このような漢字の使い方は、中国が外国の地名や人名に使ってきた方法でもあります。
関連し、『三国史記』によれば百済近肖古王の治世(在位:346年 ~ 375年)に百済学者の高興が百済に文字を伝え、百済で初めて記録が残されるようになった、と言われております。
さらに、百済部寧王(在位:502年~523年)は、仏教に帰依し、512年と521年には中国南朝の梁に入朝して、仏教の導入を熱心に進めたことが知られております。そして、武寧王のあとを継いだ聖王(在位:523~554)も仏教に熱心で、百済は仏教建築文化の先進国となり、新羅や日本の建築文化にも大きな影響を与えたことが知られております。
漢字には南方系の呉音読みと北方系の漢音読みがありますが、以上の関係から、百済の万葉仮名は南方系の呉音読みとなります。そして、拙ブログでは、その百済の地名や王名の万葉仮名の読み方は百済人のルーツのマレー系民族の言葉であることを検討してきました。
さらに、拙ブログでは、中国の江南地域の「中国の福建省の数え方」は、イー、ジー、サン、シー、ゴ、ラ、チーであり、日本語にとても近いこと、これらの言葉のルーツは中国江南地方で使われてきた呉の国の発音(呉音)にあることも紹介してきましたが、この数え方のルーツも百済にあったと推察されます。
関連し、これらの関係を上と下の地図に示しました。

まとめますと、百済人はルーツがマレー民族でありますので、伽耶(カヤ=マレー語で豊かという意味)などのマレー語の地名等を万葉仮名風に漢字で表したと思われます。そして、それら百済の万葉仮名が仏教と共に日本に導入されたとき、日本でも同様に使うようになったのだと思われます。すなわち、万葉仮名のルーツは百済の万葉仮名にあったと結論されます。
そして、万葉仮名を長い間使っているうちに日本語の発音は万葉仮名風になり、結果として発音はマレー語風、漢字は呉音読みになったと推察されます。
以上、万葉仮名のルーツ愚考でした。
なお、このような日本語のルーツに関心のある方は、拙ブログ左側にありますカテゴリーの「日本語のルーツ」をクリックしますと今までの記事を見ることができます。

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