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エカタシロ大王寺の「寺」の意味と鉄剣作成場所(邪馬台国と日本人)

金錯銘鉄剣の作られた場所と流れ


エカタシロ大王寺の「寺」の意味と鉄剣作成場所(邪馬台国と日本人)

拙ブログでは埼玉古墳出土鉄剣碑文について記されている大王の名(獲加多支鹵)は、通説の「ワカタケル」でなく「エカタシロ」であり、慈悲深い大王の意味であることを指摘してきました。また、埼玉県稲荷山古墳出土の鉄剣碑文について、鉄剣碑文関係の「関東の大王の墓」がどこにあるのか前回、検討しました。

一方、鉄剣碑文には「エカタシロ大王寺」という言葉があり、この「大王寺」の「寺」の意味は何か不明です。寺は「エカタシロ大王の個人名」とか、「役所の場所」とか説がでておりますが、すっきりした解釈にはなっていない感じです。関連し、今回は、この寺の意味について愚考し、あわせて、鉄剣がどこで作られたについても愚考します。

まず、熊本県の江田船山古墳出土では同じ大王名のある鉄剣銘文が出ておりますが、そこでは「エカタシロ大王世」(解釈は「エカタシロ大王の世」)となっており、疑問は出ておりません。

一方、この鉄剣碑文は我が国最初の万葉仮名文字とも言われております。そこで、寺を万葉仮名に置き換え、寺=じ=時、とするのはどうでしょう。じ(時)とすると、「エカタシロ大王のじ(時)」となり、問題はありません。そして、万葉仮名にこのような使い方があるのか、さらに検討する予定です。

一方、その鉄剣については、「金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)」とも称され、高度な技術が使われており、どこで作られたのか、これも明確になっていません。当時5世紀後半の畿内政権は雄略天皇時代と言われますが、畿内ではこのような鉄剣は発見されておらず、かつ、このような高度な技術があった可能性は低いと思われます。

5世紀当時、そのような技術があったと思われる場所は百済と交流のあった北九州の倭国だけです。特に、大宰府は倭国の都とも言われる場所で、鉄剣持ち主(乎獲居臣)は、おそらく倭国に依頼したのではないでしょうか。

この理由として、三つのことが考えられます。

一つは、技術的に倭国以外、作れる技術者はいないことです。

二つは、熊本県北部にある江田船山古墳出土の鉄剣銘文に、同じく「エカタシロ大王」という名前が使われていて、これも同じ倭国で作られた可能性が大です。

三つは、その鉄剣にあるエカタシロ(獲加多支鹵)がマレー系の名前であることです。倭国はマレー系民族の国と拙ブログでは推察しておりますが、「エカタシロ大王」はマレー語で「慈悲深い大王」の意味があり、倭王武がその大王であることを前々回に紹介しました。すなわち、鉄剣碑文にこのようなマレー系の言葉があるのは倭国以外には考えられません。

関連し、上の地図は、金錯銘鉄剣の流れです。おそらく、倭国の都と言われていた大宰府で作られたものと思われます。5世紀後半は、朝鮮半島南部と北九州を管轄していた倭王武の時代で、大宰府はそれらの中心でした。中国そして先進国の百済と同程度の技術があった場所は日本では大宰府以外に考えられません。

因みに、「太宰府は、倭国の都だった!?(4) ~太宰府は当時の東アジア最大の羅城だった!」とブログ仲間が紹介しております。


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[ 2018/03/11 08:32 ] 邪馬台国と日本人 | TB(-) | CM(0)
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日本人の縄文思想と稲作のルーツ
日本人のDNAと縄文思想と稲作のルーツについて海外経験と最新情報を元にユーモアをまじえて迫ります

レインボー

Author:レインボー

私は稲仕事の関係からいくつかのアフリカとアジアの国々で暮らし、日本人のルーツはアフリカまで辿れること、その思想は自然との共生思想(縄文思想)であること、稲はマレー系の人々が持ち込んだことを実感しました。その経験をベースに、日本人のDNAと稲作のルーツに迫ります。なお、ペンネームは、「虹を見る歴史思考」という拙ブログの手法と関連し「レインボー」とします。どうぞよろしく。
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