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武寧王と継体王は義兄弟の関係(邪馬台国と日本人)

倭王武(武寧王)と継体王の接点


武寧王と継体王は義兄弟の関係(邪馬台国と日本人)

蘇 鎮轍(ソ・チンチョル)氏が「百済部寧王の世界、海洋大国 大百済」(2007)という書籍を出しております。そこでは、和歌山県の隅田八幡神社の人物画像鏡の銘文を解釈すると、百済の武寧王は日本の継体王を男弟王と呼んでいたことが分かる、と指摘しております。関連し今回は、百済の武寧王と継体王の関係について愚考します。

百済の武寧王(在位:502年~523年)につては、高句麗を破り、百済を強国にした王として紹介してきました。一方、継体王(天皇在位:507年~531年)ですが、北陸(福井)の出身で、百済の歴史書にも出てきており、実在を証明できる歴代天皇の最初の王と言われています。

それでは継体王以前の王ですが、日本書紀と古事記に記されているだけです。中国や百済などの歴史書にはなく、実在を証明できるものがありません。また、歴代天皇に対応する古墳ですが、決定的な証拠はなく本当は誰の墓なのか推定の域をでていない状況にあります。

因みにブログ仲間の記事「古墳は語る(16)~古代天皇陵の謎」によりますと、古代天皇陵の実際の場所は大半が不明であることが詳しく紹介されています。その意味で、実在が確認できる日本の天皇は継体王から始まるというのは本当だと思われます。

そこで、本題の、隅田八幡神社の人物画像鏡の銘文の解読ですが、Wikipediaによりますと次のとおりです。

(大意)癸未(きび、みずのとひつじ)の年八月 日十大王の年、男弟王が意柴沙加(おしさか)の宮におられる時、斯麻が長寿を念じて開中費直(かわちのあたい)、穢人(漢人)今州利の二人らを遣わして白上同(真新しい上質の銅)二百旱をもってこの鏡を作る。(引用終了)

表記「百済部寧王の世界、海洋大国 大百済」によれば、癸未の年とは503年のこと、男弟王は継体王のこと、斯麻は部寧王の百済での呼び名です。この解釈によれば、銘文は「503年、大王斯麻(武寧王)は男弟王(継体王)の長寿を祈願するため、開中費直と穢人今州利の二人に命じて良質の白銅二百旱でこの鏡を製作した」となります。

そして、「百済の武寧王」の記事によれば、「最後に百済と同時代に存在した北東アジア古代国家との関係を調べると、多くの王家が結婚という形で関係を結んだことがわかる。英国の「ガーディアン」紙のインタビューで明仁天皇が「私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています」と述べたこともある。」とあります。

この記事から推察しますと、まさに、武寧王と継体王は義兄弟のような関係であり、武寧王が継体王を男弟王と読んだ関係が分かるような気がします。

この関係は、武寧王は若いときは倭国(北九州)で倭王武と呼ばれていたこと、継体王は北陸(福井)の出身で、北九州の倭国と海で繋がっていたということが遺跡の埋蔵品から分かっています。ここに、武寧王(倭王武)と継体王の接点を観ることができます。

関連し、上の地図は部寧王と継体王の関係を示した地図です。

また、下の写真は、Wikipedia にあります和歌山県の隅田八幡神社の人物画像鏡です。銘文が周囲に記入されていることが分かります。

和歌山県の隅田八幡神社の人物画像鏡


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[ 2018/03/19 08:24 ] 邪馬台国と日本人 | TB(-) | CM(2)
こんにちは。

倭王武と継体王。僕は名前ぐらいしか知りませんでした。

なかなか説得力のある推察で面白いですね。古代のロマンを感じます。

今回も興味深く読ませていただきました。感謝です。
[ 2018/03/22 14:07 ] [ 編集 ]
Re: 大川原英智 さん古代のロマン
大川原英智 さん
いつも貴重なコメント、ありがとうございます。

ご指摘の古代のロマンですが、この時期が謎も多く諸説ありで、
一番面白いかと思っています。
草々


> こんにちは。
>
> 倭王武と継体王。僕は名前ぐらいしか知りませんでした。
>
> なかなか説得力のある推察で面白いですね。古代のロマンを感じます。
>
> 今回も興味深く読ませていただきました。感謝です。
[ 2018/03/23 07:48 ] [ 編集 ]
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日本人の縄文思想と稲作のルーツ
日本人のDNAと縄文思想と稲作のルーツについて海外経験と最新情報を元にユーモアをまじえて迫ります

レインボー

Author:レインボー

私は稲仕事の関係からいくつかのアフリカとアジアの国々で暮らし、日本人のルーツはアフリカまで辿れること、その思想は自然との共生思想(縄文思想)であること、稲はマレー系の人々が持ち込んだことを実感しました。その経験をベースに、日本人のDNAと稲作のルーツに迫ります。なお、ペンネームは、「虹を見る歴史思考」という拙ブログの手法と関連し「レインボー」とします。どうぞよろしく。
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