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百済と倭国の滅亡、7世紀は新旧交代の激動の時代であった(邪馬台国と日本人)

新羅と日本の国家統一


百済と倭国の滅亡、7世紀は新旧交代の激動の時代であった(邪馬台国と日本人)

日本は百済と倭国のおかげで大陸の先進文化を導入することができました。しかし、日本の国内統一が始まると、百済と倭国は歴史的役割を終えたかのように7世紀後半、滅びました。関連し、今回は、7世紀は新旧交代の激動の時代であったことについて、愚考します。

日本は、朝鮮半島南部を経て、水田稲作を導入し、かつ、中国の先進文化を導入した、ということは一般的歴史的知見となっています。

先進稲作導入については、日本では5000年以上前から陸稲稲作が行われていたことから考えますと、水田稲作を可能にする鉄製農具の導入の影響が大きかったと思われます。この稲作には、南方系の稲作民族(マレー系民族)が中心となって関わってきたと思われます。

そして、この稲作をベースに、朝鮮半島では百済、そして北九州では倭国が建国されましたが、その中心民族はマレー系民族で、言葉もマレー系の言語が使われたことが地名や王の名等から推察されます。

そして、倭国は、5世紀後半になると倭王武が新羅を含む朝鮮半島南部から北九州を支配する大王(安東大将軍)として中国から認められます。

この時代に作られた鉄剣碑文が、九州の熊本と埼玉県で発見されましたが、エカタシロ(獲加多支鹵)大王の世(寺=時?)という言葉がそれらの碑文に掘られていました。エカタシロ大王とは慈悲深い大王とマレー語では解釈されますが、おそらく倭王武がその大王であったことを意味すると思われます。

一方、日本は、継体王の時代(6世紀前半)になると、文字、文書の作り方、国家の制度、仏教文化等の導入を百済の援助で成し遂げることができました。これを機会に、日本は国家統一に向かい、発展します。倭国も、百済の先進文化導入の中継地点として、日本国の発展に寄与しました。

しかし、その恩を忘れ、大和(畿内)政権は、倭国が百済支援(白村江の戦い 663)に失敗し弱体化したときをねらい倭国を滅ぼし、日本統一を成し遂げました。

一方、百済を滅ぼしたのはツングース系の新羅ですが、その新羅も、また、日本と同じように、稲作、そして仏教文化を百済から取り入れています。しかし、その恩を忘れ、新羅は唐と組んで百済を滅ぼし、朝鮮半島の統一に成功しました。

以上の結果、朝鮮半島と日本ではそのマレー系民族の国家と言葉は消えてしまいました。しかし、DNAは残り、百済と倭国を作ったマレー系民族の存在は、そのDNAから分かります。因みに、朝鮮半島と日本ではマレー系民族のDNA(Y染色体ハプログループ O1b)の割合は、それぞれ約30%です。

関連し、上の地図は百済と倭国の滅亡と新羅と日本の国家統一の様子です。まさに、7世紀の朝鮮半島と日本は、古くからあった国が滅び、新しい国ができた激動の時代であったと思われます。


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[ 2018/04/24 07:59 ] 邪馬台国と日本人 | TB(-) | CM(0)
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日本人の縄文思想と稲作のルーツ
日本人のDNAと縄文思想と稲作のルーツについて海外経験と最新情報を元にユーモアをまじえて迫ります

レインボー

Author:レインボー

私は稲仕事の関係からいくつかのアフリカとアジアの国々で暮らし、日本人のルーツはアフリカまで辿れること、その思想は自然との共生思想(縄文思想)であること、稲はマレー系の人々が持ち込んだことを実感しました。その経験をベースに、日本人のDNAと稲作のルーツに迫ります。なお、ペンネームは、「虹を見る歴史思考」という拙ブログの手法と関連し「レインボー」とします。どうぞよろしく。
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