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栽培稲のルーツはスンダランド(稲作と日本人)

稲のルーツはスンダランド


栽培稲のルーツはスンダランド(稲作と日本人)

スンダランドというのは水位が低かった氷河期にインドネシア当たりにあった大陸です。

拙ブログでは、栽培稲のルーツはインドネシア当たり(スンダランド)、という見解を支持しております。その根拠は、栽培稲の始まりは日本型で、その最も古いタイプがインドネシアの在来種のブル種にあった、という報告にあります。

関連し、それを分かりやすく紹介した記事<稲作インドネシア・フィリピン起源説の衝撃>がありましたので紹介し、栽培稲のルーツについて愚考します。まず、その記事を引用しますと次のとおりです。

<稲作インドネシア・フィリピン起源説の衝撃>

このような状況の中で、2008年8月、茨城県つくば市の「独立行政法人 農業生物資源研究所」による、アジア栽培イネの在来種の遺伝子解析から、栽培イネの紀元が中国江南ではなくインドネシア・フィリピンかもしれないという研究成果が英国の科学雑誌『Nature Genetics』に掲載され、学会に大きな衝撃を与えた。同研究所は2001年に設立以来あまり時間がたっていないので、一般の知名度はそれほど高くないが、世界で初めて2004年にイネゲノムの完全解読を世界10カ国をリードして達成するなど、大きな業績をあげている。植物・動物・昆虫の遺伝子研究・ゲノム研究や遺伝子組み換えの分野においては日本をリードする研究を行っている研究機関である。
  同研究所で栽培イネの起源に関する研究を行い、画期的な成果に結び付けたのは井澤毅(いざわたけし)氏のグループである。研究内容は、「野生イネが栽培イネに進化するにあたっては、古代人が自分達にとって好ましい性質を持つ稲をその栽培域の拡大に伴って時間をかけて選抜していったはずである」という前提に基づいている。そしてゲノム情報と遺伝学を駆使して、脱粒性をコントロールする遺伝子(qSH1)、種子の数とサイズをコントロールする遺伝子(qSW5)、炊飯時にモチモチ感を実現するFNP(DNA変化部位)(Wx)と、コメの色の白さを実現するFNP(Rc)の4つの栽培化関連遺伝子に注目してイネのシーラカンス(生きた化石)を探す研究を行ったのである。作業は科学的に高度かつ複雑であったはずだが、研究のコンセプトは素人にも判るほど論理的なものである。すなわち、この4種類の栽培化関連遺伝子の変化が少ない品種ほど、古代人による選抜の程度が少ない品種であり、それが増える流れが見つかれば、その流れが、イネの栽培の拡大の軌跡である可能性が高いとの推論に基づく。
  その結果、栽培イネの起源地は長江中下流域ではなくインドネシアやフィリピンであるとの結論に到達したのである。まさに、旧スンダランド地域が起源地であるということになる。栽培イネの発生年代については約一万年前(紀元前8000年頃)に野生稲が古代人による選抜を受けて作物として進化したと考えられている。すなわち、他の主要穀物と同様、最終氷期が終了に向かっている中で突然出現した、ヤンガー・ドリアス期と呼ばれる寒の戻りの時期(紀元前9400年~紀元前8000年頃)の直後に人類によって栽培化が始められたとされている。前章で述べたように、この時期には、スンダランドが最盛期の海岸線を回復していた可能性が高い。(引用終了)

 
引用が長くなりましたが、次に、その稲が、どのように江南地方に運ばれ、江南地方で開花したかについて推察しますと、次のようなことが考えられます。 

まず、中心的役割を果たした民族ですが、彼らはスンダランドにルーツを持つマレー系の民族です。おそらく、氷河期最後の間氷期と言われる2万年前頃、野生稲から稲の栽培化に成功したと思われます。しかし、氷河期が終わる1.4万年前頃、適地であった低地が海水面で覆われ、栽培が困難になるという問題が発生しました。

そこで、彼らマレー系民族は、新天地を求め、稲種子を持って、ベトナム、海南島を経て、江南地方に辿り着いたと思われます。

稲作発祥の地と言われる玉蟾岩(ぎょくせんがん)遺跡は揚子江中流域ですが、それらの地域は、もとスンダランドと同じような土地と気候であり、そこで稲栽培に1.4万年前に成功したと思われます。そして、その稲作は、水田稲作可能な自然の天水田の広がっている揚子江下流域に持たされ、人口が増大し、河姆渡(かぼと)遺跡は稲栽培の起源地と言われるようになったと思われます。

なお、拙ブログでは、鹿児島県の1万年前以上の地層から稲のプラント・オパールの発見があったことから、その稲のプラント・オパールは、こうした流れのなかで、上記のマレー系民族によって1万年前に日本に導入され栽培された稲の痕跡であったと推察しております。

関連し、スンダランドと稲の伝播を上の地図に示しました。

一方、下の写真は、マダガスカル西海岸部の稲作地帯です。ここも、乾期に乾き、雨期に浸水が見られる自然の天水田のようなところです。7000年前の中国の河姆渡遺跡の場所もこのような感じだったでしょうか。

マダガスカル西海岸平野部


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[ 2018/05/10 08:11 ] 稲作と日本人 | TB(-) | CM(2)
こんにちは。

稲作のルーツがインドネシアあたりのスンダランドにあったとは。

僕にとっては新鮮な驚きで、とても説得力のあるご推察ですね。

フィリピンやインドネシアが改めて身近に感じられます。

今回も勉強させていただきました。感謝です。
[ 2018/05/12 08:23 ] [ 編集 ]
Re: 大川原英智様
大川原英智様
貴重なコメント、ありがとうございます。

嬉しいですね、勉強になったとは。
草々

> こんにちは。
>
> 稲作のルーツがインドネシアあたりのスンダランドにあったとは。
>
> 僕にとっては新鮮な驚きで、とても説得力のあるご推察ですね。
>
> フィリピンやインドネシアが改めて身近に感じられます。
>
> 今回も勉強させていただきました。感謝です。
[ 2018/05/12 21:42 ] [ 編集 ]
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日本人の縄文思想と稲作のルーツ
日本人のDNAと縄文思想と稲作のルーツについて海外経験と最新情報を元にユーモアをまじえて迫ります

レインボー

Author:レインボー

私は稲仕事の関係からいくつかのアフリカとアジアの国々で暮らし、日本人のルーツはアフリカまで辿れること、その思想は自然との共生思想(縄文思想)であること、稲はマレー系の人々が持ち込んだことを実感しました。その経験をベースに、日本人のDNAと稲作のルーツに迫ります。なお、ペンネームは、「虹を見る歴史思考」という拙ブログの手法と関連し「レインボー」とします。どうぞよろしく。
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