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江南地方に野生稲は無く栽培種の選抜はできなかった(稲作と日本人)

中国の野生稲のルーツは海南島


江南地方に野生稲は無く栽培種の選抜はできなかった(稲作と日本人)

最近の報告を見ますと、稲作のルーツは江南地方、栽培種のルーツも江南地方という感じですが、江南地方には野生稲がなかったいう問題があります。言い換えますと、氷河期の江南地方は寒く、野生稲が自生できる環境ではなかった。このため、栽培種も無かったことになります。

前回(4日前)、拙ブログでは、栽培種のルーツはスンダランド(インドネシア辺り)とする説が有力であることを紹介しましたが、関連し、今回は、江南地方に野生稲は無かったことについて愚考します。

まず、国際日本文化研究センター教授 安田喜憲の最新記事「長江流域における世界最古の稲作農業」、があります。その一部を引用しますと、次のとおりです。

稲作農業もこのヤンガー・ドリアスの寒冷期に引き起こされたという説を唱える研究者もいる。しかし、それは納得できない。なぜなら、最古の稲作農耕遺跡の分布は、野生イネ(Oryza rufipogon)の分布の北限地帯に位置しているからである(図2)。現在においても、野生イネの北限地帯に相当する長江中流域において、ヤンガー・ドリアスの寒冷期に野生イネが生息できたとは、とうていみなしがたいからである。玉蟾岩遺跡における最古の稲籾の年代である1万4000年前は、氷期の寒冷気候が急速に温暖化したベーリングの亜間氷期に相当しており、亜熱帯起源の野生イネが、拡大できる気候条件はそなわっていた。(引用終了)

また「珠江中流域がイネ栽培化の起源でない」 という記事もあります。珠江は揚子江の南側を流れる大河で、河口に香港があります。その記事の一部を引用しますと次のとおりです。

陳文華氏の「漢代における長江流域の水稲栽培と農具の完成」を読むと、「中国の歴代の古稲サンプルを概観して、進化の度合いからみるならば。早期の稲殻の粒形はわりと小さく、後世に至るにしたがい粒形が大きくなり、漢代にはすでに現在の品種とほぼ変わりないほどになっていた」とある。粒形に関わる遺伝子は野生に近い早期の栽培イネの遺伝子型から、現在の栽培イネの遺伝子型になるまでに約5千年の年月か掛かっている。栽培化の遺伝子型はイネの起源より後に、数千年前後の年月を掛けて徐々に増え、現在の栽培イネが持つ遺伝子型に固定されたと考える。

栽培化遺伝子に焦点を合わせて遺伝距離を出した場合、野生イネと栽培イネの遺伝距離が短いということは、野生イネが栽培イネと同じ栽培化遺伝型を多く持っているということになる。もし、栽培化の遺伝子が一挙に増えるのではなく、数千年の年月をかけて徐々にふえるのであれば、野生イネと栽培イネの遺伝距離が非常に小さいということは、その野生イネは、何千年の長い稲作の歴史の中で、栽培イネと交雑を起こし汚染(遺伝子流動)されている可能性が高いという見方も出来る。

「野生イネと栽培イネの遺伝距離が一番小さい場所が起源地」ということが成り立つのは、野生イネの集団に栽培イネからの遺伝子流動が一切なかった、あるいは有ったものは淘汰されたという場合に限り成り立つと思う。これまで述べてきたように、珠江中流域の野生イネは漢代の水際で行う「火耕水耨」の稲作により、栽培イネの花粉からの遺伝子流動を受けていたと思われる。中国の珠江中流域の野生イネの場合、遺伝距離が栽培イネに最も近いからと言って、珠江中流域がイネ栽培化の起源であると言えないと思う。

近年、中国東北部・朝鮮半島・日本の直播をする水田稲作で、雑草イネ(Weedy rice)がはびこり、米の品質を下げることが問題になってきている。この雑草イネは野生イネに栽培イネの花粉が他家受粉して出来たハイブリッド種で、遺伝的には遺伝子流動(Gene flow)が起こったと言われる。このハイブリット種は、野生イネが生息しない温帯地方では雑草イネとされるが、野生イネが生息する亜熱帯・熱帯地方では雑草イネか野生イネかの判別は付き難いそうだ。 (引用終了)

引用が長くなりましたが、まとめますと、ヤンガー・ドリアスの寒冷期(晩氷期の12800年前~11500年前)は、揚子江流域も寒く、野生稲は無かった。

そして、中国の野生稲のルーツは海南島辺りで、現在、江南地方にある野生稲は、そこから移動したことになります。しかし、この野生稲は日本型の栽培稲とは無縁、どちらかと言えばインド型に近い存在であることが分かっていますので、日本型の栽培種にはなれません。

また、日本型の栽培種に近いと言われる野生稲も見つかっておりますが、それらは栽培稲と野生稲の交雑から生まれた雑草稲の可能性が高いと、上の記事では指摘しております。

以上のことから、江南地方には、氷河期には野生稲はなく、そこから現在の栽培稲が出てくることには無理である、と結論されます。そして、最古の稲作と言われる江南地方の日本型の栽培稲はどこから来たかについて熟考しますと、それは氷河期の後にスンダランドからマレー系民族によって持ち込まれたもの、と考えるのが妥当と思われます。

なお、上の図は、中国の野生稲の中心地と言われる海南島と野生稲の伝播の様子です。海南島では、ハイブリッドライスに使われる細胞質雄性不稔稲が見つかったという有名な話がありますが、その雄性不稔野生稲はインド型稲に近いタイプです。


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[ 2018/05/14 08:03 ] 稲作と日本人 | TB(-) | CM(2)
>珠江とは揚子江のことですが

珠江は広東省と広西自治区の境あたり、広州や香港の近くの太短い川のことで
揚子江(長江河口部)とは違うのではないですか
[ 2018/05/15 13:51 ] [ 編集 ]
Re: 珠江と揚子江は違う、感謝
下記情報、ありがとうございます。
訂正します。

> >珠江とは揚子江のことですが
>
> 珠江は広東省と広西自治区の境あたり、広州や香港の近くの太短い川のことで
> 揚子江(長江河口部)とは違うのではないですか
[ 2018/05/15 17:42 ] [ 編集 ]
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日本人の縄文思想と稲作のルーツ
日本人のDNAと縄文思想と稲作のルーツについて海外経験と最新情報を元にユーモアをまじえて迫ります

レインボー

Author:レインボー

私は稲仕事の関係からいくつかのアフリカとアジアの国々で暮らし、日本人のルーツはアフリカまで辿れること、その思想は自然との共生思想(縄文思想)であること、稲はマレー系の人々が持ち込んだことを実感しました。その経験をベースに、日本人のDNAと稲作のルーツに迫ります。なお、ペンネームは、「虹を見る歴史思考」という拙ブログの手法と関連し「レインボー」とします。どうぞよろしく。
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