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東北で最初に水田稲作を始めた人々は誰か(稲作と日本人)

青森県の縄文・弥生遺跡場所


東北で最初に水田稲作を始めた人々は誰か(稲作と日本人)

拙ブログでは、稲作は、縄文時代から居たマレー系民族がもたらしたものとして検討してきました。そして、マレー系民族が移住してきたときから稲は陸稲として作られ、2500年前頃、鉄器の農具が伝わると、水田作りが始まったと指摘しております。

一方、青森県では「砂沢遺跡」から炭化籾と水田跡が発見され、2500年前の弥生時代に稲が水田で作られていたことが分かりました。時代は鉄器が伝わった時期と同時代であり、水田稲作の広がりの早さが注目されています。そして、2200年前には近くの「垂柳遺跡」で広い水田跡が確認されています。

関連し、今回は、その「砂沢遺跡」と「垂柳遺跡」の水田を作った人々について愚考します。

結論から言いますと、それもマレー系民族によるところが大きいと思われます。理由は次のとおりです。

① 青森県には、縄文時代の大遺跡と言われる三内丸山遺跡がありますが、三内丸山遺跡埋蔵物の解析情報によれば、そこは北海道と北陸各地の港と結ばれており、山内丸山は中継地点の中心としての役割があったようです。その場所を上の地図に示しました。

② 日本には、その頃、先住民族のアイヌ系、海洋系のマレー系、畑作民族のツングースが居たと思われますが、これらの民族のうち海洋交易で活躍したのは海洋系のマレー系民族と思われます。

③ 一方、北九州はマレー系民族が多くいた地域ですが、朝鮮半島や中国大陸とも縄文時代から交易していました。このことは、水田稲作に必要な鉄器など中国大陸の情報がいち早く入ってきていることから推察されます。

④ そして、山内丸山の縄文時代以来、マレー系民族は、日本海の沿岸を自由に往来し海洋交易をしていたと思われます。因みに有名な糸魚川翡翠(ひすい)ですが、「糸魚川翡翠について」の記事によれば次のとおりです。

 糸魚川の翡翠は北海道礼文島から沖縄まで、日本全国の遺跡から発見されているだけでなく、朝鮮半島南部の遺跡からも発見されています。日本特産のものとして日本海を渡っていったのでしょう。日本の石が、これほど広範に伝播した例は他にありません。縄文時代の翡翠は、東日本にかけて多く、西日本にはほとんどありません。しかし、弥生時代以降は逆に西日本に多くなり東日本には少なくなります。縄文時代と弥生時代の文化の中心の違いを反映しているものですが、縄文人と後から来た弥生人が共に翡翠を珍重したことは、異文化を排斥せずに巧みに取り入れ、さらに改良するという日本人の特性に通じるものがあります。(引用終了)

この記事から、糸魚川翡翠は縄文時代に全国に移出されていて、重要な交易品であったことは言うまでもありません。そして、この交易を担っていたのはマレー系民族と思われます。一方、1万年前以上から居たアイヌ系は自給的縄文時代の主役、また、5000年前以上から居たと思われるモンゴル系と中国系混血のツングース系は畑作民族であり、彼らが海洋交易を積極的にしていた可能性は低いと思われます。

まとめますと、海洋交易を担っていたマレー系民族は、大陸から農耕に必要な鉄製農具を入手しましたが、その鉄製農具は山内丸山時代から居る同じ青森県の仲間にもすぐ伝わりました。そして、彼らは、2500年前に、その鉄器を使い、砂沢遺跡で水田稲作を試みましたが、すぐ放棄されていることから成功しなかったと思われます。しかし、2200年前には近くの垂柳遺跡で水田稲作を行い、成功したと思われます。

関連し、小川修三(1984)のデーターから東北と九州の人口変動を下に示しました。水田稲作の定着が人口増大と関係していると仮定しますと、この人工の変動から東北で稲作が普及し始めたが西暦0年、定着してくるのは西暦300年頃と推察されます。このことから、上記「垂柳遺跡」で水田稲作が成功しましたが、すぐに広がることは無かったと思われます。その理由として、東北は採集自給的経済をしているアイヌ系民族が多く、水田稲作の必要性や重要性は、すぐには理解されなかったことが考えられます。

縄文~弥生偉大の人口変動(九州と東北)


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[ 2018/05/26 07:39 ] 稲作と日本人 | TB(-) | CM(4)
おはようございます^^

稲作が始まると
人口がグーンと
増えていますね。

こんなに昔の人口を
どうやって調べたのだろうと
不思議に思いました(^^)

学問というのは、
すごいものですね。
[ 2018/05/26 09:51 ] [ 編集 ]
Re: 坊主おじさん、昔の人口
坊主おじさん
貴重なコメント、ありがとうございます。

昔の人口ですが、発見されている遺跡の数からの推定です。
知られている遺跡を活用し、人口を推定したという発想、すばらしいと思います。
草々

> 稲作が始まると
> 人口がグーンと
> 増えていますね。
>
> こんなに昔の人口を
> どうやって調べたのだろうと
> 不思議に思いました(^^)
>
> 学問というのは、
> すごいものですね。
[ 2018/05/26 12:53 ] [ 編集 ]
豊かな食料があった
垂柳遺跡はかなり高度な水田だと云われていますから、失敗したのではないんじゃないでしょうかね。
稲作は手間も労力も半端なくかかるし、時期を定めみんな集まって力を合わせないと出来ないし、東北の縄文式の生活には向いてなくてやめたのでは?
他に食べるものいっぱいあったんじゃないでしょうか。
山の恵み,イノシシやサケとかは一人で狩りが出来ますし。
想像すると面白いですね。
[ 2018/05/29 17:28 ] [ 編集 ]
Re: aoi さん、豊かな食料があった
aoi さん
いつも貴重なコメント、ありがとうございます。

垂柳遺跡の稲栽培、東北の縄文式の生活には向いてなくてやめたのでは?ですが、
その想像は当たっている可能性があります。
草々

> 垂柳遺跡はかなり高度な水田だと云われていますから、失敗したのではないんじゃないでしょうかね。
> 稲作は手間も労力も半端なくかかるし、時期を定めみんな集まって力を合わせないと出来ないし、東北の縄文式の生活には向いてなくてやめたのでは?
> 他に食べるものいっぱいあったんじゃないでしょうか。
> 山の恵み,イノシシやサケとかは一人で狩りが出来ますし。
> 想像すると面白いですね。
[ 2018/05/30 07:50 ] [ 編集 ]
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日本人の縄文思想と稲作のルーツ
日本人のDNAと縄文思想と稲作のルーツについて海外経験と最新情報を元にユーモアをまじえて迫ります

レインボー

Author:レインボー

私は稲仕事の関係からいくつかのアフリカとアジアの国々で暮らし、日本人のルーツはアフリカまで辿れること、その思想は自然との共生思想(縄文思想)であること、稲はマレー系の人々が持ち込んだことを実感しました。その経験をベースに、日本人のDNAと稲作のルーツに迫ります。なお、ペンネームは、「虹を見る歴史思考」という拙ブログの手法と関連し「レインボー」とします。どうぞよろしく。
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