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「垂柳遺跡」の早生稲はどこから来たか(稲作と日本人)

古代早生稲の普及


「垂柳遺跡」の早生稲はどこから来たか(稲作と日本人)

前回、東北の水田稲作が青森県津軽平野の「垂柳遺跡」から始まったことを紹介しました。一方、佐々木広堂氏が「朝鮮半島東北部・ロシア沿海から伝わった封印された早生品種と和田家文書の真実」と題し、東北の早生品種は朝鮮半島東北部から伝わったと熱い議論を展開しております。

確かに、東北で水田稲作が定着するには早生品種なしには考えられません。また、「垂柳遺跡」の前に「砂沢遺跡」がありましたが、「砂沢遺跡」では稲作が失敗例した印象があり、これは適した早生品種が無かったためとも考えられます。

関連し、今回は、小生の専門でもあります稲品種改良について、東北に適した早生品種がどのように作られたのかについて愚考します。

早生品種は、播種から出穂までの日数が短い品種のことですが、結論から先に言いますと、自然突然変異で簡単に出てきます。因みに、有名な良食味品種に「コシヒカリ」がありますが、この品種の自然変異から早生の「五百川」という品種が福島県の農家によって作られています。

拙ブログでは、日本の稲品種のルーツは、氷河期にインドネシア当たりにあったスンダランドと推定しておりますが、その稲が、中国の江南地方で作られ、その中から早生品種が選ばれ、北部の山東半島まで栽培されるようになったと推察しております。

その稲から、さらに早生が選ばれ、遼東半島まで作られるようになった可能性があります。その意味で、朝鮮半島東北部から伝わったという佐々木広堂氏の記事の可能性は否定できません。また、その記事では自然交雑でも早生品種が生まれることを紹介しておりますが、その可能性も否定できません。

また、陸稲栽培は、6000年前からあったことが知られておりますが、陸稲は一般に早生ですので、6000年前から早生稲はあった可能性もあります。日本に昔からあった在来品種収集結果によりますと、九州には極早生から極晩生の在来種が多数あったことが確認されております。ということは、九州にあった早生種が東北に持ち込まれて作られるようになった可能性も否定できません。

また、当時は、朝鮮半島南部も稲作地帯でしたので、そこで選抜された早生品種が持ち込まれた可能性も否定できません。

まとめますと、早生品種は比較的簡単に自然突然変異で発生しますので、稲作が北上するときの阻害要因であった可能性は大きくない感じがします。

なお、上の地図は、早生稲がマレー系民族によって青森県垂柳遺跡に持ち込まれていった様子です。


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[ 2018/05/30 07:58 ] 稲作と日本人 | TB(-) | CM(0)
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日本人の縄文思想と稲作のルーツ
日本人のDNAと縄文思想と稲作のルーツについて海外経験と最新情報を元にユーモアをまじえて迫ります

レインボー

Author:レインボー

私は稲仕事の関係からいくつかのアフリカとアジアの国々で暮らし、日本人のルーツはアフリカまで辿れること、その思想は自然との共生思想(縄文思想)であること、稲はマレー系の人々が持ち込んだことを実感しました。その経験をベースに、日本人のDNAと稲作のルーツに迫ります。なお、ペンネームは、「虹を見る歴史思考」という拙ブログの手法と関連し「レインボー」とします。どうぞよろしく。
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