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まとめ3、邪馬台国の場所と卑弥呼の墓(邪馬台国と日本人)

古代の九州と近畿の人口変動


まとめ3、邪馬台国の場所と卑弥呼の墓(邪馬台国と日本人)

我が国最古の王朝と言われる邪馬台国については、北九州にあったことが圧倒的多数の学者や関係者から認められています。拙ブログでも、邪馬台国は北九州にあったことを支持しております。

初めに水田稲作の発展があり、その結果、人口が増え、邪馬台国は生まれたものと思われます。すなわち、稲作は北九州に始まり、日本で一早く人口が増大した地域であります。その流れのなかで、北九州で奴国が生まれ、その後、伊都国などの多くの地域国が生まれ、邪馬台国連合が生まれた流れになります。

関連し、遺跡の数から古代の人口を推定した小山修三(1984)のデータを用いて、北九州と近畿の人口の変化を上に示しました。

この図では、水田稲作の結果、人口が増え始めるのが、北九州では紀元0年頃、一方、近畿は100年~200年の遅れがあります。

細かいことですが、上の人口変化では、九州の人口が近畿にAD200年頃抜かれます。これは、魏志倭人伝にあります倭国の大乱と関係があると思われます。すなわち、九州では戦乱があり人口が停滞、一方、近畿は戦乱が無く平和であり、人口が順調に増えたと考えることができます。

一方、稲作の担い手ですが、縄文時代から陸稲栽培をしていたマレー系の民族と思われます。彼らは海洋民族でもあり、中国の鉄製農具(おそらく鋤)を一早く中国から入手すると、灌漑水を引く工事や水田作成を行い、水田稲作を可能にしました。

そして、彼らの生活習慣や容貌は、魏志倭人伝によれば、海南島の民族に似ているとあります。海南島近辺に住むヤオ族は、今でもマレー系民族の割合が40%と高く、マレー系の民族に分類されます。そして、彼ら海南島の人々と邪馬台国の人々が似ているということは、邪馬台国の人々はマレー系の民族であったと思われます。

そこで、拙ブログでは、マレー系民族の足跡と思われる朝鮮半島南部と北九州の古代地名等を調べ、それらとマレー語の関係を調べ、マレー語と一致することが分かりました。

例えば古代地名に伽耶があります。伽耶はマレー語でkaya(rich 豊)です。伽耶は米だけでなく鉄を産し、古代では豊かな場所でしたので、それらしい地名になります。同じように、北九州の地方語の「よか」、「ばってん」等はマレー語にルーツがあることを紹介してきました。

次に、邪馬台国の場所ですが、起点となるのは伊都国です。伊都国は福岡市辺りにあったことがほぼ確定しておりますが、魏志倭人伝に出てくる中国側の使者は、邪馬台国の海外交易の拠点であった伊都国まで来て滞在し、倭国の状況を知り、帰ってから魏志倭人伝の著者「陳寿」に情報伝えたと理解されています。

そして、伊都国から邪馬台国(女王国)には、南に水行で10日、または陸行で30日とあります。この範囲で現在の遺跡を調べますと、筑紫平野にある吉野ケ里が最有力候補と思われます。

続いて、魏志倭人伝にもあります女王の墓ですが、伊都国の平原(ひらばる)遺跡が現時点では最も相応しいのではないかと思います。

まず、魏志倭人伝では、女王の墓は「径百余歩」とあり、平原遺跡の墳墓は方形周溝墓(14X12m)で周径52mで、サイズが「径百余歩」に合っています。そして出土品に大型鏡やピアスがあり、女王の墓に相応しい特徴が出ております。現在のところ、この平原遺跡に勝てる候補地はありません(笑)。

卑弥呼の墓の場所が、邪馬台国のあった筑紫平野(吉野ケ里)でなく伊都国の平原の理由ですが、理由はいろいろと考えられます。一つは、卑弥呼は吉野ケ里出身でなく、伊都国出身だったのかもしれません。あるいは他の理由があったのかもしれません。

関連し、吉野ケ里、伊都国の平原の場所を下の地図で示しました。細かいことですが、吉野ケ里は、伊都国から陸行30日の観点から見ると近すぎる印象を受けます。その意味で、筑紫平野の南部辺り、あるいは熊本平野当たりの方が、より邪馬台国に相応しい場所と思われます。


古代の北九州(3世紀)


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[ 2018/06/23 07:08 ] 邪馬台国と日本人 | TB(-) | CM(2)
赤村
今年の3月に福岡県の赤村が卑弥呼の墓ではないかと騒がれましたね、赤村は伊都国でしょうか?

邪馬台国の支配地は九州から近畿までという説もあるようですから、卑弥呼の墓が箸墓古墳ではないかというのもありと思うのです。
桃のタネも出たことですし、陸路30日が相応するのでは(^^;)

[ 2018/06/24 15:48 ] [ 編集 ]
Re: aoi さん、赤村
aoi さん
いつも貴重なコメント、ありがとうございます。

赤村の巨大な前方後円墳ですが、卑弥呼の墓は円墳(または方墳)で前方後円墳ではないので、それではないと思われます。
赤村古墳は、まだ調査が終わっていないので、全貌はこれから明らかになるのでしょう。

なお、卑弥呼の墓と言われる箸墓古墳ですが、これも前方後円墳であり、問題ありと言えましょう。
拙ブログでは、箸墓古墳は神武天皇の墓と思っております(次回報告予定)。
草々


> 今年の3月に福岡県の赤村が卑弥呼の墓ではないかと騒がれましたね、赤村は伊都国でしょうか?
>
> 邪馬台国の支配地は九州から近畿までという説もあるようですから、卑弥呼の墓が箸墓古墳ではないかというのもありと思うのです。
> 桃のタネも出たことですし、陸路30日が相応するのでは(^^;)
[ 2018/06/25 10:35 ] [ 編集 ]
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日本人の縄文思想と稲作のルーツ
日本人のDNAと縄文思想と稲作のルーツについて海外経験と最新情報を元にユーモアをまじえて迫ります

レインボー

Author:レインボー

私は稲仕事の関係からいくつかのアフリカとアジアの国々で暮らし、日本人のルーツはアフリカまで辿れること、その思想は自然との共生思想(縄文思想)であること、稲はマレー系の人々が持ち込んだことを実感しました。その経験をベースに、日本人のDNAと稲作のルーツに迫ります。なお、ペンネームは、「虹を見る歴史思考」という拙ブログの手法と関連し「レインボー」とします。どうぞよろしく。
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