まとめ 9.古代の朝鮮半島には2種の民族が居た(北方系と日本人)
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レインボー

まとめ 9.古代の朝鮮半島には2種の民族が居た(北方系と日本人)
古代日本は朝鮮半島の影響無しには考えられません。しかし、過去の報告に関しては、朝鮮半島には現在の状況と同じくツングース系民族だけが居て、長身の彼らが弥生人のルーツになったと観る考えが支配的でした。すなわち、長身ツングース系が稲作を伝え、日本語もツングース系の文法が主となったという考えがありました。
しかし、拙ブログを系統的に観てきた方には分かっていることですが、弥生時代~古代の朝鮮半島には、南方から来た稲作民族のマレー系民族と北方から来た畑作民族のツングース系の2種の民族が住んでいました。
関連し、今回は、記事まとめの追加として、「まとめ9.朝鮮半島には2種の民族が居た」について愚考します。
最近のDNA研究(Y染色体ハプログループ分類)は朝鮮半島の民族のルーツも明らかにしました。彼らは、モンゴル系と中国系の混合混血民族のツングース系民族と観られていましたが、ツングース系60%(中国系40%、モンゴル系20%)の他、マレー系民族が30%も居ることが分かりました(まとめ1のデータ参照のこと)。
拙ブログでは、このマレー系民族は、朝鮮半島南西部に主として住み着き、水田稲作を導入し、百済国を建設し、かつ、文字や仏教など大陸文化を日本へ導入したことを紹介してきました。
しかし、百済は、中国とツングース系の新羅連合に663年滅ぼされ、新羅に統一されました。この結果、百済で使われていたマレー系言語も消えてしまいました。
しかし、拙ブログでは、百済の地名や王名にマレー語の痕跡があることを明らかにし、マレー系民族が居たことを明らかにしました。実際、私は韓国の学生に会ったことがありますが、彼らの中に低身長のマレー系の容貌をもった人も居たことを経験しております。
これらのことを総合しますと、古代朝鮮半島に、マレー系とツングース系の2種が居たことは確かで、稲作に関係したのは低身長のマレー系の方だったということになります。関連し、上の地図は、弥生時代、韓国最大の弥生稲作遺跡の松菊里遺跡の場所とマレー系とツングース系民族移住の経路の様子です。
また下の地図は、マレー系民族国家「百済」が最強であった武寧王時代(在位502~523年)の様子です。この時代は、強国の高句麗を打ち破り、最新仏教文化を中国から導入し、この仏教文化を新羅と日本に伝えています。

さらに、下の地図は百済と倭国が滅びた663年頃の様子です。これを境に、日本は日本民族の大和朝廷に、朝鮮半島はツングース系民族の新羅に、それぞれ統一されていきました。この結果、日本と朝鮮半島からマレー系民族が消えたことになります。


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