山口県の土井ケ浜遺跡出土の弥生人骨は北方系民族(北方系と日本人)
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山口県の土井ケ浜遺跡出土の弥生人骨は北方系民族(北方系と日本人)
前回、ツングース系民族が寒冷期(4000年前~3000年前)に朝鮮半島から多数移住してきたことを紹介しました。
一方、山口県の土井ケ浜遺跡で弥生時代に生きていた人達の人骨が多数出土し、その人骨は縄文人と異なり、北方系の長身であったことから、それら人骨発見の後、弥生人=北方民族と言われるようになったと思われます。
関連し、今回は「山口県の土井ケ浜遺跡出土の弥生人骨は北方系民族」について愚考します。
Wikipediaによれば、最近の評価は次のとおりです。
混血説と渡来説[編集]
土井ヶ浜人は、頭が丸く、顔は面長で扁平であり、四肢骨は長く、男性の平均身長は縄文人より3-5センチメートルほど高く、163センチメートル前後と推定された。このことから金関丈夫は、これらの集団が朝鮮半島からの渡来者と、土着の縄文人との混血であろうと考えた。また、土井ヶ浜人の故郷が朝鮮半島北部と思われることを示唆した。埴原和郎は、中国東北地方、あるいは東シベリアに起源地がある可能性がつよい、混血に対しては、渡来人そのものであると主張し、その証拠に、4世紀の慶尚南道金海の礼安里遺跡の人骨が極めてよく似ている、としている。
しかし、その後、礼安里遺跡人骨との比較分析が行われたが、形質的な同質性をみるに至らなかった。同じ慶尚南道の海岸線にある勒島(ろくしま)などの、比較的土井ヶ浜遺跡と年代の近い人骨との比較では、かなり異なっていることが分かった。
最近の調査で、中国山東省の遺跡で発掘された漢代の人骨資料の中に、土井ヶ浜人ときわめてよく似た形質をもつ資料が多く見つかっている。(引用終了)
この報告を、拙ブログの観点から愚考しますと、金関丈夫氏の指摘のとおり、土井ケ浜遺跡出土の弥生人骨は北方系(ツングース系)民族の血の濃い集団と思われます。
拙ブログでは、朝鮮半島には、2種の民族が居て、東側に高身長で畑作系のツングース系民族が、西側には低身長の稲作民族のマレー系が居たと推察しております。そして、ツングース系は日本海側の山陰、北陸方面へ移住し、5000年前頃、北陸では異常な人口増加のもとになったことを先に紹介しました。
一方、稲作民族のマレー系は北九州に移住し、その結果、北九州では稲作が発展し、古代国家の建設が進んだと推察されます。
ツングース系が何故北九州に向かわなかったのか。それは民族(言葉)の違いや農耕文化の違いがあったと思われます。当時、北九州には稲作民族のマレー系民族が昔から住んでおりました。
一方、ツングース系は畑作民族です。そこで、彼らは日本海側の山陰、北陸方面に向かったと思われます。そこはアイヌ系が住んでいましたが、偶然にも、ツングース語とアイヌ語は文法が似ており、言葉の壁は北九州のマレー語よりは少なかったと思われます。
この関係を上の地図で示しました。すなわち、土井ケ浜遺跡出土の弥生人骨は、ツングース系民族の血の濃い民族であったと推察されます。
しかし、その人骨は弥生時代のものですが、彼らが弥生時代に朝鮮半島から移住してきた集団なのかは明らかではありません。日本人(縄文人)との混血の可能性があることから推察しますと、弥生時代以前に移住してきた可能性が強いと思われます。

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