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高身長の稲作民族は来なかった(稲作と日本人)

マレー系民族の移住と稲作の拡大


高身長の稲作民族は来なかった(稲作と日本人)

Wikipediaによれば「弥生人は、狭義には弥生時代に中国大陸や朝鮮半島から日本列島に渡来してきた人々を指す。」とあります。

言い換えますと、高身長の弥生人が稲作文化をもって朝鮮半島から移住してきたと一般に言われております。前回紹介の土井ケ浜遺跡人骨がその例と言われます。しかし、拙ブログでは、高身長民族はツングース系畑作民族であり、稲作とは関係がなかったことを指摘してきました。

今回は、最近の弥生人骨情報をもとに、「高身長の稲作民族は来なかった」について愚考します。

まず、最近の弥生人骨情報として、「渡来人の故郷はどこか」があります。よくまとまっていると思われますが、その一部を紹介しますと次のとおりです。

 こういう報告に接し、 人類学の権威・池田次郎は、北部九州・山口地方へ渡来した人たちの祖系集団がシベリア・モンゴルなど北アジアの古代人でなかったことは明白で、その最有力候補には、黄河中・下流域を中心とし山東半島から淮河・長江下流域にかけての、沿岸部一帯の青銅器時代人を当てることが出来る、と埴原の二重構造モデルの渡来人・北方アジア人説を否定した。

  中国大陸の渡来系弥生人の候補者たち

 その後、松下は河南省の黄河中流域やチベットに隣接する中国奥地の青海省 でも土井ヶ浜にそっくりの人骨を確認している。
 また中橋孝博を中心とするグループは、上海自然博物館との共同研究で江蘇省揚州市・胡場遺跡から出土した5体の頭骨を調べ、北部九州の弥生人と極めて似ていることを確認している。

 その後、山口敏を団長とする江南人骨日中共同調査団が「長江下流域の古人骨と北部九州・山口の渡来系弥生人骨のミトコンドリアDNAが一致した」と発表している。

 また長江下流域の古代人について、池田次郎は、圩墩(うとん)の新石器時代人が渡来系弥生人と、頭骨計測距離が随分離れているのに対し、胡場の前漢人が近い値を示すことについて、“江南地方の住民は早ければ新石器時代に、遅くても前漢時代までには、おそらく華北集団の影響を受けて、渡来系弥生人的特徴を獲得したと考えられる。(「日本人の来た道」池田次郎p212)”と記述している。

 すなわち、江南地方にはかって系統の違う集団が居住していたが、遅くとも日本の弥生時代のころには渡来系弥生人と同様の特徴を獲得し、渡来系弥生人の候補として、山東半島方面だけでなく長江下流域も十分可能性があると指摘しているのである。(引用終了)

引用が長くなりましたが、まとめますと、前回紹介の山口県で発見された弥生人骨(土井ケ浜人)は北方系であること、一方、北九州の弥生人骨のルーツは稲作民族のルーツで南方系(江南地方)であること思います。

そして、従来の「弥生人=北方系(高身長ツングース系)」説は否定されております。ツングース系民族は畑作民族であり、稲作民族(弥生人)と関係ないことは拙ブログでも指摘していることですが、上記資料では、そのことを人骨の調査から明らかにしたものと思われます。

朝鮮半島には、稲作民族のマレー系と畑作民族のツングース系の2種の民族が居たことを拙ブログでは指摘してきましたが、この指摘は、上記資料と一致することになります。

また、最近のDNA研究(Y染色体ハプログループ分類)は、日本人のルーツを明らかにしました。すなわち、地域差はありますが、日本人は、アイヌ系が35%、マレー系が30%、中国系が20%、モンゴル系が10%、その他5%になります。中国系とモンゴル系のルーツは、朝鮮半島に居た中国系とモンゴル系の混合混血民族であるツングース系民族と思われます。

その日本人のルーツから想像しますと、日本にきた稲作民族は低身長のマレー系民族以外に考えられません。そこで、彼らがいつ来たのかですが、鹿児島県で1万年前の地層から、稲の痕跡と言われるプラントオパールが見つかっていることから、彼らは稲籾をもって、1万年前から日本に来て居たと思われます。

そして、彼らマレー系民族は、最初は陸稲栽培をしていましたが、韓国や江南地方の近隣のマレー系民族と交易し、水田稲作に必須の鉄製農具を手に入れると水田稲作を開始した、と拙ブログでは観ています。

まとめますと、高身長の弥生人(ツングース系民族)が稲作技術をもって大陸から日本に来たという話は神話であり、専門家の間では否定されていると言えましょう。

なお、マレー系稲作民族に関心のある方は、拙ブログ左側にありますカテゴリー欄の「南方系と日本人」をクリックしますと、関連の記事を読むことができます。

関連し、上の地図は、マレー系民族の移住経過です。

また下の地図はマレー系民族のDNA(Y染色体ハプログループO1b)の各国の分布で、マレー系民族がバリ島当たりに起源があり、稲作を普及しながら北上し、日本辿り着いた様子が分かります。

マレー系民族の移住と割合


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[ 2018/08/09 20:38 ] 稲作と日本人 | TB(-) | CM(0)
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日本人の縄文思想と稲作のルーツ
日本人のDNAと縄文思想と稲作のルーツについて海外経験と最新情報を元にユーモアをまじえて迫ります

レインボー

Author:レインボー

私は稲仕事の関係からいくつかのアフリカとアジアの国々で暮らし、日本人のルーツはアフリカまで辿れること、その思想は自然との共生思想(縄文思想)であること、稲はマレー系の人々が持ち込んだことを実感しました。その経験をベースに、日本人のDNAと稲作のルーツに迫ります。なお、ペンネームは、「虹を見る歴史思考」という拙ブログの手法と関連し「レインボー」とします。どうぞよろしく。
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