縄文時代から高身長の人は居た(北方系と日本人)

縄文時代から高身長の人は居た(日本人のルーツ)
Wikipediaによれば、縄文人の形質的な特徴を一般的に表しますと、次のようになります。
まず身長は平均して成人男性で155センチ前後、成人女性で150センチ弱。いわゆる彫りが深い顔立ちであり眉間が突き出しているが、一方で鼻の付け根が引っ込んでいる。眉毛は濃く、目は大きめで、まぶたは二重、唇はやや厚めで顎の骨が発達している。(引用終了)
簡略しますと、縄文人は低身長になりますが、今回は、こうした低身長という縄文人の特徴が本当なのか、太平洋側(愛知県)と日本海側(富山県)についての最近の人骨調査報告から愚考します。
愛知県の縄文時代人と弥生時代人を比較した村松裕南(名古屋大学大学院文学研究科 教育研究推進室年報 Vol. 9)の報告(まとめ)によると、次のとおりです。
縄文人から弥生人への身体形質の変化の一要素として身長を取り扱い,その時代的推移を示し,男女ともに縄文人と弥生人とでは身長値に有意な差が存在し、 縄文人集団の中にも弥生時代人と同様に高身長である人が出現したという事を確認できた。(引用終了)
この報告では、愛知県の縄文人に低身長の傾向があるが高身長の人も居たことになります。具体的には、168㎝の高身長データを紹介しております。
一方、国立科学博物館 研究主幹 坂上 和弘氏の富山県中央部にある6000年前の小竹貝塚の報告、「日本海地域における日本人の歴史-小竹貝塚出土人骨を中心として-」によれば、次のことが明らかになっております。
縄文時 代の男性の平均身長は 158cm、女性は 148cm なのに対し、小竹貝塚出土人骨には当時としてはかなりの高身長である170cmに達する、また、日本海沿岸で出土する人骨には遺跡内での多様性が見られる傾向があり、他地域との人的交流がよくあった可能性がある。(引用終了)
上記2例の報告をまとめますと、高身長の人達は縄文時代から居たと結論されます。特に富山のデータからは、彼らは6000年前から居たことになります。そして、高身長の富山の縄文人が南下し愛知県の高身長の基になった可能性があります。
関連し、古代の遺跡の数から人口を推定した小山修三(1984)の北陸地域のデータを見ますと、下の図のとおりです。ここでは9000年前にほぼ同等の人口のあった近畿と四国を比較対象に入れておりますが、北陸では6000年前に少し増加、5000年前に異常な人口増加が認められます。この異常な人口増加は移住者による増加以外に考えられません。

そこで、どのような移住者があったのか検討しますと、5000年前は三内丸山時代の縄文全盛時代と言われ、東北・北陸を中心に海洋交易が盛んであったことが知られております。地理的関係から考慮しますと、それら海洋交易の関係から朝鮮半島から高身長の人々(ツングース系)も移住してきた可能性があります。
このような縄文時代の様子から推察しますと、小山修三(1984)の北陸のデータと富山の小竹貝塚で発見された高身長の人々の存在は、6000年前頃から高身長のツングース民族が移住してきたことを示唆します。
まとめますと、縄文人は低身長という指摘は、ツングース系民族が来る前の、おそらく6000年前以前の縄文時代の話と思われます。それ以降の縄文人は、新たに移住してきた高身長の民族と混血しており、その容貌や身長については訂正が必要と思われます。
なお、関連し、上記、6000年前の富山県へのツングース系民族の移住事例を上に示しました。

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