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倭国は戦争で疲弊した(邪馬台国と日本人)

倭国、高句麗、唐、畿内政権と戦った図


倭国は戦争で疲弊した(邪馬台国と日本人)

前回、倭国の大乱が九州で起こった影響で九州の人口の伸びが大きく低下したことを指摘しました。今回は、倭国は、大乱の後、さらに戦争で疲弊し、この結果、人口増加が停滞し、滅亡したことについて愚考します。

拙ブログで紹介してきた記事をまとめますと、下記表の様に倭国は戦争に明け暮れました。

倭国の戦争の歴史

まず、北九州ではマレー系民族が住み着き水田稲作を始めましたが、稲作で豊かになると人口が増え、小さな国が多数できました。3世紀に、倭国の大乱という国内での覇権戦いがあり、卑弥呼が女王となると争いは収まりました。

次いで、4世紀、倭国が一つにまとまると(おそらく首都は大宰府)、朝鮮半島に出兵し、高句麗と戦いました。この戦いは5世紀まで続きましたが、同じく高句麗と対立していた中国南部の諸王朝の評価を得て、478年には倭王武が、朝鮮半島南部と北九州を支配する六国諸軍事安東大将軍倭王として中国(宋)から認められるようになりました。

6世紀には、 畿内で勢力を拡大してきた継体王と倭の磐井王が戦いました。

7世紀には、最後になりますが、百済支援のため、数万の兵を派遣し唐と戦いましたが、663年の白村江の戦いで倭国王が唐軍の捕虜となり、倭国は滅びました。その後、倭国は大和政権に取り込まれました。

まとめますと、倭国は、国内での戦争、朝鮮半島での高句麗との戦い、畿内政権との戦いが連続して発生し、倭国内の人々の暮らしは大変であったことが分かります。そして、これが人口の停滞を生み、最後は白村江の戦いで敗北した後、倭国は滅び、大和政権に取り込まれていったと思われます。

なお、倭国の戦争の歴史の様子を示した地図を上トップに示しました。


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[ 2018/09/14 13:44 ] 邪馬台国と日本人 | TB(-) | CM(0)
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日本人の縄文思想と稲作のルーツ
日本人のDNAと縄文思想と稲作のルーツについて海外経験と最新情報を元にユーモアをまじえて迫ります

レインボー

Author:レインボー

私は稲仕事の関係からいくつかのアフリカとアジアの国々で暮らし、日本人のルーツはアフリカまで辿れること、その思想は自然との共生思想(縄文思想)であること、稲はマレー系の人々が持ち込んだことを実感しました。その経験をベースに、日本人のDNAと稲作のルーツに迫ります。なお、ペンネームは、「虹を見る歴史思考」という拙ブログの手法と関連し「レインボー」とします。どうぞよろしく。
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