FC2ブログ
2018 101234567891011121314151617181920212223242526272829302018 12

多民族の畿内政権の優位性愚考(日本人のルーツ)

倭国全盛時代の様子(478年)


多民族の畿内政権の優位性愚考(日本人のルーツ)

前回、白村江の戦いが663年にあり、これを機会にマレー系民族の国の百済が滅び、代わりに新羅が朝鮮半島を統一した要因について愚考しました。一方、日本も同じような状況にあったことを今回は愚考します。

朝鮮半島と同じように西日本にも2種の民族が居ました。マレー系民族と日本民族ですが、マレー系民族は北九州に倭国を建設しました。一方、日本民族の中心は畿内にあり、おそらく継体王(在位 507-531)が最初の畿内政権の王と思われます。畿内政権の前は地方大王の時代で、日本を代表する政権は無く、倭国だけが外国に認められた政権でした。

これら二つの国家、倭国と畿内政権の特徴を下の表に示しました。

倭国と畿内政権の特徴

拙ブログですでに紹介しておりますが、マレー系民族の倭国は民族の違いから日本統一は行いませんでした。むしろ、倭国は同じマレー系民族の国の百済支援で忙しかった印象があります。

一方、日本民族ですが、この民族は、アイヌ系、ツングース系、マレー系の混合混血民族でした。すなわち、多様性があり日本を代表する民族です。

こうした日本民族の多様な性格は、朝鮮半島の新羅と同じで、一般民衆の支持を得たと思われます。例えば、マレー系民族ですが、倭国以外にもマレー系民族は日本各地に住んでおりました。しかし、倭国は戦争の多い国という印象があり、おそらく、民衆の倭国に対する人気は弱かったと思われます。

このため、マレー系民族の倭国が滅んだ後、日本各地に居たマレー系民族内でその再建に協力しようとする者は現れなかったというのが真相と思われます。

こうした流れの中で、マレー系民族の倭国は、滅んだ後、日本(畿内政権)に取り込まれていき、日本民族の一部となっていったと思われます。この結果、倭国で使われていたマレー系言語は消えました。

関連し、上トップ図は倭国全盛時代の倭王「武」の時代(478年頃)の様子です。倭王「武」は478年に六国諸軍事暗闘大将軍として中国南朝から認められました。この結果、朝鮮半島南部の任那、伽耶は倭国の管理下に置かれ、かつ新羅は倭国の属国となっていました。

一方、下の図は倭国が滅びるとき(663年頃)の様子です。白村江の戦いに大敗し、倭国王は唐軍の捕虜となり、倭国が滅びました。

倭国滅亡のときの様子(663年)


日本史ランキング
スポンサーサイト
[ 2018/10/04 11:19 ] 日本人のルーツ | TB(-) | CM(0)
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する
検索フォーム
日本人の縄文思想と稲作のルーツ
日本人のDNAと縄文思想と稲作のルーツについて海外経験と最新情報を元にユーモアをまじえて迫ります

レインボー

Author:レインボー

私は稲仕事の関係からいくつかのアフリカとアジアの国々で暮らし、日本人のルーツはアフリカまで辿れること、その思想は自然との共生思想(縄文思想)であること、稲はマレー系の人々が持ち込んだことを実感しました。その経験をベースに、日本人のDNAと稲作のルーツに迫ります。なお、ペンネームは、「虹を見る歴史思考」という拙ブログの手法と関連し「レインボー」とします。どうぞよろしく。
リンク
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR