fc2ブログ

白村江の戦いの真実、日本書紀は創作(邪馬台国と日本人)

7 Comments
レインボー
白村江の戦いの真実


白村江の戦いの真実、日本書紀は創作(日本書紀は創作)

「白村江の戦い」の大敗は、その結果、北九州にあったマレー系民族の国家であった倭国が滅び、畿内政権が日本統一を成し遂げるという日本史における大事件でした。しかし、この倭国滅亡のことについては日本史の教科書には出てきません。それは、一つに、教科書の日本史は日本書紀をベースにしているからです。日本書紀の評価と関連し、今回は、この「白村江の戦い」の真実に迫ります。

まず、そこで、その疑問について調べていますと、「日本書紀が隠したこと」という記事が出てきました。その記事を引用しますと次のとおりです。

私は古代に思いを馳せるとき、7世紀までの「倭国」とは畿内・大和ではなかったという説を念頭に考えています。そんな私の「妄想ワールド」をまとめると、次のようになります。

倭国は中国・漢の時代の倭奴国、魏・呉・属の時代の邪馬台国などから発展し、宋(南朝宋)の時代の「倭の五王」や隋書に書かれたアメノタリシホコなども九州倭国の王だった。

しかしその倭国は、百済救済のために唐・新羅に戦いを挑むも白村江にて大敗。やがて衰退し、大和に併合されていくことになった。

大和・天皇家の歴史書を、唐の協力あるいは指導を得ながら作成する際に大和は太古から日本の盟主だったと装い、8世紀以降のその地位だけでなく過去の九州王朝の栄光と歴史をも我が物としようと企てた。つまり「歴史の書き換え」です。

九州王朝の存在を隠すこと、それが日本書紀の大きな目的だったと考えています。(引用終了)

引用が長くなりましたが、この記事の内容は拙ブログの主張とほぼ同じです。すなわち、白村江の戦いは、唐・新羅軍と倭国(九州王朝)の間で行われ、畿内政権は参加していないことになります。

一方、Wikipedeiaの「白村江の戦い」によれば、日本書紀をベースにした記事ですが、白村江の戦いにおける倭国軍(畿内政権)の軍事力は次のとおりです。

倭国軍

第一派:1万余人。船舶170余隻。指揮官は安曇比羅夫、狭井檳榔、朴市秦造田来津。
第二派:2万7千人。軍主力。指揮官は上毛野君稚子、巨勢神前臣譯語、阿倍比羅夫(阿倍引田比羅夫)。
第三派:1万余人。指揮官は廬原君臣(いおはらのきみおみ)(廬原国造の子孫。現静岡県静岡市清水区を本拠とした。(引用終了)

この倭国軍の内容は、第一派が1万余人で船舶170余隻ですから、単純計算でも一隻当たり60人乗りという大きな船、すなわち唐軍と同等以上の大きな船、あるいは遣唐使に使われた船と同等以上、かつ170余隻もの船舶数です。そこで、そのような多数の大きな船をどのように作ることができたのか、疑問が残ります。当時の技術ではあり得ないことです。

また、第二派は陸軍と思われますが、上毛野君とありますから、おそらく勇猛と言われる毛国(群馬県)出身で、この戦いのためわざわざ遠く離れた関東から出向いたことになります。なぜ近隣の西国出身者を使わなかったのでしょう。おかしなことです。

また、第三派は海軍なのか陸軍なのか不明ですが、なぜ静岡県から出向いたのか、これも同じように疑問が残ります。

まとめますと、日本書紀に書かれている内容は疑問だらけで、とても史実とは思えない内容になっています。

拙ブログでは、「日本書紀は、奈良の大仏を見物に来た外国人に日本を唐と同じような大国であるように見せるために作られた創作(フィクション)の歴史書」と観ています。

そこで、この観点から日本書紀の「白村江の戦い」を見ますと、唐軍と同等の大きな船そして多数の兵隊は、日本を大国に見せるための記述、すなわち創作と観るのが妥当と思われます。

一方、日本書紀は創作であるが真実も一部含まれていると拙ブログでは観ています。この観点から深読みしますと、軍隊が陸軍主体の畿内政権関係だけで構成されていたのは、百済支援ではなく、百済滅亡と関連し、日本統一のため倭国を潰すために送られた軍隊であったと考えると、歴史の事実と合います。

関連し、上トップの図は「白村江の戦い」の真実です。


日本史ランキング
レインボー
Posted byレインボー

Comments 7

There are no comments yet.
大川原英智

こんにちは。

「白村江の戦い」と「日本書紀」の記述。なかなか面白いですね。歴史は勝者に

よって作られる、とよくいいますが、その典型的な例なのかなと思いました。

説得力のある記事に興味を掻き立てられ、感謝です。

  • 2018/10/25 (Thu) 14:24
  • REPLY
レインボー
レインボー
Re: 大川原英智 様、歴史は勝者に よって作られる

大川原英智 様
貴重なコメント、ありがとうございます。

歴史は勝者によって作られる、その通りだと思います。
そして、その結果、古代史に謎が多くなっている感じがします。

勝者の残したものは、フェイクが多いという観点から観る必要がありますね。
草々


> こんにちは。
>
> 「白村江の戦い」と「日本書紀」の記述。なかなか面白いですね。歴史は勝者に
>
> よって作られる、とよくいいますが、その典型的な例なのかなと思いました。
>
> 説得力のある記事に興味を掻き立てられ、感謝です。

  • 2018/10/25 (Thu) 16:42
  • REPLY

なぜ有り得ないと言い切れるのか?関東から来たと言い切れるのか?
東北地方民が九州に派遣されたこともあるのを知らないの?
歴史は勝者によって作られるというのは極論。思考停止。
「日本書紀を創作と決め付けられる根拠が薄い。結論ありき。」 
そもそもこの記事の内容では真実(笑)がわからない。数を盛っていると言うのなら実数を提示するべき。結局自虐史観の亜流かつまらん。シナチョウセンマンセーがアフリカマレーマンセーに変わっただけ。
自然礼賛思想等幻。自然とは適度に距離を取り、一定の畏敬の念を抱いていたが正解。左翼連中のは原理主義。

  • 2018/11/03 (Sat) 23:51
  • REPLY
レインボー
レインボー
Re: あ様、感謝

あ様
ご批判、ありがとうございます。

批判は大切です。しかし、日本書紀が創作であることは明らかです。
例えば、天皇が紀元前から居ると書いてありますが、貴殿は、それを信じているのですか。

また、「捏造の日本古代史」(相原精次著 2017)には、捏造(創作)の様子が詳しく解析されております。
貴殿の具体的な批判をお聞かせ願えれば幸いです。
草々

> なぜ有り得ないと言い切れるのか?関東から来たと言い切れるのか?
> 東北地方民が九州に派遣されたこともあるのを知らないの?
> 歴史は勝者によって作られるというのは極論。思考停止。
> 「日本書紀を創作と決め付けられる根拠が薄い。結論ありき。」 
> そもそもこの記事の内容では真実(笑)がわからない。数を盛っていると言うのなら実数を提示するべき。結局自虐史観の亜流かつまらん。シナチョウセンマンセーがアフリカマレーマンセーに変わっただけ。
> 自然礼賛思想等幻。自然とは適度に距離を取り、一定の畏敬の念を抱いていたが正解。左翼連中のは原理主義。

  • 2018/11/04 (Sun) 07:04
  • REPLY
-
管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

  • 2019/04/20 (Sat) 11:56
  • REPLY
-
三国志魏書国淵伝

旧唐書によると「662年に唐軍が倭軍と4回交戦して倭の船400隻を焼き払った」。しかし、三国志魏書国淵伝にある軍事報告によると、外国軍を打ち負かした場合は、敵対勢力を実数の10倍に水増しして公式文書(或いは竹簡)に記録する悪習がまかり通っていた。つまり自分の手柄を本国に報告した時には誇大宣伝。このケースを白村江の戦いに当て嵌めると、倭の船は400隻ではなく実際は40隻ぐらい。ベトナム戦争で米軍がベトナム兵の死者を10倍に粉飾して発表してた例もある。それと古代中国人が倭国と呼ぶ時は大抵、九州を意味した。中国人歴史家・孫栄健は三国志魏書国淵伝を引き合いに出して、魏志倭人伝に記載がある「倭国の総戸数15万戸」の推計について疑問視。九州王朝の栄光の歴史は2世紀後半の倭国大乱で既に破綻。6世紀前半の磐井の乱が最後の抵抗でした。古事記・日本書紀のヤマタノオロチ伝説は出雲国風土記には書かれてません。あたかも九州が高志国を打ち破って出雲を解放したかのような大嘘が並べられてますが、実際は真逆で高志国・出雲・出羽地方連合軍によって九州北部が侵略されたのが倭国大乱の実態。九州の内部分裂だけで70〜80年も戦争が続く訳がない。記紀で藤原不比等が歴史を改竄した真の目的は高志国王朝栄光の歴史を九州王朝にすり替え、蘇我氏を悪者扱い、神も初代天皇も九州から出現して、未開の野蛮人が支配する古代日本を文明化したのは全て九州人であるなどと嘘八百。中臣鎌足(O1b2a1)が磐井一族の子孫だったのは明らか。

レインボー
レインボー
Re: 名無しさん、白村江の戦いの真実

名無しさん
たいへん貴重なコメント、ありがとうございます。

参考にさせていただきます。
草々


> 旧唐書によると「662年に唐軍が倭軍と4回交戦して倭の船400隻を焼き払った」。しかし、三国志魏書国淵伝にある軍事報告によると、外国軍を打ち負かした場合は、敵対勢力を実数の10倍に水増しして公式文書(或いは竹簡)に記録する悪習がまかり通っていた。つまり自分の手柄を本国に報告した時には誇大宣伝。このケースを白村江の戦いに当て嵌めると、倭の船は400隻ではなく実際は40隻ぐらい。ベトナム戦争で米軍がベトナム兵の死者を10倍に粉飾して発表してた例もある。それと古代中国人が倭国と呼ぶ時は大抵、九州を意味した。中国人歴史家・孫栄健は三国志魏書国淵伝を引き合いに出して、魏志倭人伝に記載がある「倭国の総戸数15万戸」の推計について疑問視。九州王朝の栄光の歴史は2世紀後半の倭国大乱で既に破綻。6世紀前半の磐井の乱が最後の抵抗でした。古事記・日本書紀のヤマタノオロチ伝説は出雲国風土記には書かれてません。あたかも九州が高志国を打ち破って出雲を解放したかのような大嘘が並べられてますが、実際は真逆で高志国・出雲・出羽地方連合軍によって九州北部が侵略されたのが倭国大乱の実態。九州の内部分裂だけで70〜80年も戦争が続く訳がない。記紀で藤原不比等が歴史を改竄した真の目的は高志国王朝栄光の歴史を九州王朝にすり替え、蘇我氏を悪者扱い、神も初代天皇も九州から出現して、未開の野蛮人が支配する古代日本を文明化したのは全て九州人であるなどと嘘八百。中臣鎌足(O1b2a1)が磐井一族の子孫だったのは明らか。

  • 2019/08/15 (Thu) 21:05
  • REPLY