韓国済州島の先住民族はマレー系と思われる
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レインボー

韓国済州島の先住民族はマレー系と思われる(南方系と日本人)
前回、韓国にも前方後円墳があること、その場所は朝鮮半島南西部で、先住民族は稲作民族のマレー系であったことを愚考しましたが、その南方には済州島があります(上の地図参照)。済州島はその位置関係から、先住民族はマレー系民族であったと思われます。
関連し、今回は、韓国済州島の先住民族はマレー系と思われることについて愚考します。
「済州島に関するWikipedia記事」 によりますと済州島には百済時代から耽羅(たんら)国があります。その民族・言語について次の様に紹介されています。
耽羅民族は「星主」という国王を中心として、独自の神話・称号文化を持った民族だったが、王氏高麗の侵略や高麗への併合を通じ、強引に推し進められた同化政策により混血が進み、さらに李氏朝鮮を経て現在の韓国済州島民になった。
作家大宅壮一の著書「炎は流れる」の朝鮮編には、「済州島民は朝鮮半島本土と違い、性格は温厚で生活様式が日本に近い」とある。
『三国志』『後漢書』によれば、耽羅の前身である州胡の人は言語が韓と異なり、背が低く、鮮卑(匈奴あるいは烏桓も含む)のように髪を剃った弁髪の風習を持ち[20]、上半身に革の衣を着たが下が覆われず裸に近い。牛と猪を飼い、船で往来して韓と交易した。これは当時の韓の風俗として記されるものと大きく異なっている。
日本に来た耽羅国の使者としては、「阿波伎」、「始如」、「椽磨」、「久麻伎」、「都羅」、「宇麻」等の名が知られてる。いずれも耽羅の固有語を万葉仮名のように表したものだと思われるが、その意味などは全くは分かっていない。
アレクサンダーボビンによると、「耽羅」という名称は、日本語の「たにむら(谷村, 'valley settlement')」や 「たみむら(民村, 'people's settlement')」で分析することができるという。したがってボビンは15世紀以前朝鮮語が済州島の支配言語になるまで、島では日本語族系の言語が使われたと推測した。(引用終了)
引用が長くなりましたが、引用記事をまとめますと、済州島の先住民族は、最初は百済国と交流していたこと、背が低いこと、言葉が日本語に近いこと、等かと思います。そして、これらの特徴は、マレー系民族の特徴と一致します。
さらに、耽羅国の「たんら」をマレー語で読みますと、「tan-rah」となり、直訳すると「日焼けした 血」、すなわち「日焼けした民族」と読むことができ、この特徴もマレー系民族の特徴かと思われます。
「耽羅」は百済から見ると一地方ですので、百済人が「耽羅」地方の人々を「耽羅」(日焼けした民族、色黒)と蔑称で呼んだことが「耽羅」の言葉のルーツかもしれません。百済人もマレー系ですが、ツングースとの混血が進み少し色白になっていた可能性があります。
そして、百済が滅び、「耽羅」がツングース系の新羅、高麗に属するようになると、ツングース系の済州島という名称で呼ばれるようになり、混血も進み、現在に至ったと思われます。
まとめますと、「耽羅」(済州島)の先住民族はマレー系民族であったことはほぼ間違いないと思われます。
なお、引用記事にある日本にきた「耽羅人」の名前ですが、万葉仮名で読むと、例えば「宇麻」はウマと読み、その意味はマレー語で(Umah= Home)など、マレー語で読むことができます。
関連し、上トップにマレー系民族の移住経路を示しました。

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