水田稲作で人口が何故増えるのか

水田稲作で人口が何故増えるのか(稲作と日本人)
前回、関東で水田稲作導入の結果、食糧が増え、人口が増大したことを紹介しました。関連し、すでに一般に知られていることですが、今回は、古代の水田稲作で何故、食糧が増えるのか愚考します。
まず、古代の水田作と畑作の栽培法の違いですが、一番の違いは、水田作は連作できるのに対し、畑作は連作できないことと思われます。
森から流れてくる水には栄養豊富な養分が含まれていますので、水田栽培に適した稲はその養分を吸って生育することができます。さらに、水には土壌病害抑制効果があり、連作障害は起きません。また、水田からは魚を取ることもできます。すなわち、用水路を作り水田を作ると、毎年栽培が可能になり、魚も採れることになり、人間に必要な栄養は水田から採ることができるようになります。
一方、畑作の場合、養分不足問題が起きます。例えば、アフリカやアジアで今も行われている焼畑ですが、1年目は焼畑の地力を使って作物は育つことができます。しかし、2年目には生育が劣るようになり、3年目からは養分が不足し良い生育は期待でません。
また、畑で稲を作る場合、陸稲栽培と呼ばれてもおりますが、陸稲は、連作障害問題や干ばつ害の問題があり、簡単ではありません。
以上の様に、水田は一度作ると、森―川―水田の関係が安定していれば永遠に使うことができます。このため、アジア水田稲作地帯の人口密度は高いことが明らかになっています。そして、日本には、鎮守の森信仰がありますが、これは、森は豊かな水を水田にもたらすことと関係があるという人もいます。
しかし、水田を作るのは簡単でありません。水田だけでなく用水路の造成も必要となります。そして、それらの開発のためには鉄器が必要となります。
拙ブログでは、「本格的な水田造成は鉄器の導入の後であること」について指摘しました。すなわち、2500年前の鉄器農具導入後、水田稲作が始まったと見ることができます。
関連し、上トップに水田稲作栽培と陸稲栽培の違いについて図解しました。また、下の写真はアフリカではマダガスカルだけに見られる棚田です。水路造成を省略できることから想像しますと、おそらく、棚田は最も簡単な水田造成方法と思われます。


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