旧石器時代の日本人は何処から来たのか

旧石器時代の日本人は何処から来たのか(日本人のルーツ)
前回、旧石器時代から日本人がいたこと、それらの民族はアイヌ系であったことを指摘しました。今回は、何時頃、何処から来たか愚考します。
まず、関連のWikipediaの「前・中期旧石器の発掘」の記事を引用しますと次のとおりです。
日本は酸性の土壌が多いため、骨などが残りにくく前中期の遺跡は発見が難しい。しかし、数は少ないものの、近年の考古学研究の発展により、岩手県遠野市の金取遺跡(9〜8万年前)から中期旧石器が、島根県出雲市の砂原遺跡(約12万年前)では前期旧石器などの遺物が発見されている。(引用終了)
この記事から、日本には、島根県出雲市の砂原遺跡に12万年前から、現生人と思われる人類の足跡が残っていることになります。
人類の起源はアフリカと言われますが、Wikipediaの記事によれば、現生人類のホモ・サピエンス(サピエンスは賢い、知的を意味する)は25万年前に現れ現在に至っているとあります。
しかし、最近では、30万年前の最古の人類化石をモロッコのマラケシュで発見、という情報も出ております。この情報が事実としますと、現生人類は、そのルーツと言われるケニヤのツルカーナ湖を30万年前には出て世界に広がっていったことになります。
関連し、拙ブログでは、日本で縄文以前の石器遺跡を残したのはアイヌ系民族と推察しています。「アイヌ系のルーツはアフリカ」で指摘していますが、30万年前~15万年前頃、人類のルーツと言われるアフリカ(ツルカーナ湖)を出て、インドネシア辺りにあったスンダランドに住み着いた後、ベトナム、台湾、沖縄を経て、12万年前頃の、上記の島根県出雲市の砂原遺跡辺りに辿り着いたと思われます。
これら縄文以前の遺跡を残した民族にアイヌ系の他には居ないのか検討しますと、次のとおりです。
まず、拙ブログで何度も指摘していることですが、日本人のルーツは、35%がアイヌ系、30%がマレー系、20%が中国系、10%がモンゴル系、5%がその他です。
これらのなかで、12万年前から確認できる民族は、最近のDNA研究(Y染色体ハプログループ分類)によれば、アフリカを最初に出たアイヌ系とモンゴル系だけです。
モンゴル系については、アフリカを出た後、北方アジアを移動してモンゴルに辿り着いた民族と言われます。しかし、モンゴルや近隣のシベリアの大地に12万年前の人類遺跡はないことから、そのとき、人類はモンゴルに着いていなかった可能性が高いと思われます。
さらに、そのとき、対馬海峡は大陸と繋がっていなかったことを考えますと、歩いて来たモンゴル民族には12万年前に海を渡って日本の着くことはできなかったと思われます。すなわち、現在の知見では、島根県出雲市の砂原遺跡に辿りつくことができたのはアイヌ系またはその他の不明な少数民族だけとなります。
なお、対馬海峡ですが、氷河期は陸になっていたという説がありますが、すべての期間でなく、「海峡形成史(VI)(大嶋和雄)」によれば、12万年前はリス~ウルム間氷期に当たり、比較的水位は高く、海峡になっていたようです。
そこで、12万年前頃、島根県出雲市砂原遺跡辺りに辿り着いた人々(アイヌ系)の経路ですが、アフリカ、スンダランド、台湾、沖縄、九州、対馬海峡(日本海)、島根と思われます。関連し、島根県砂原遺跡への道を上トップに示しました。

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