大地は私たちに属しているのではない(縄文思想と日本人)
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レインボー

大地は私たちに属しているのではない(縄文思想と日本人)
前回、「沖縄の辺野古への思い」について、普通の日本人の心情を紹介しました。その思いと関連し、今回は、以前に紹介しました記事ですが、北米先住民スクワミッシュ族古老が1854年にアメリカ政府から土地を売れと迫られた時にした演説「大地は私たちに属しているのではない」の言葉を再度引用したいと思います。
まず、その言葉(演説内容の一部)を引用します。
「すべてこの地上にあるものは、わしらにとって神聖なものだ。松の葉の一本一本、岸辺の砂の一粒一粒、深い森に立ちこめる霧や、草原になびく草の葉。その葉裏に羽音をたてる虫の一匹一匹に至るまで神聖なものだ。わしの体の中を血が流れるように樹木の中を樹液が流れる。わしは大地の一部、大地はわし自身なのだ。
それなのに、白い人たちは、母なる大地を、父なる空を、まるで羊か、光るビーズ玉のように、売り買いしようとする。大地をむさぼりつくし、後には砂漠しか残さない。
大地は、私たちに属しているのではない。わしたちが、大地に属しているのだ。・・・・」(引用終了)
この演説から、アメリカ先住民族が「自然との共生」という日本人と同じ感情や考え方を持っていることを感じ取ることができます。おそらく、沖縄の人達の心情と同じものがあるのではないでしょうか。
そして、今上天皇の言葉、「沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません」は、その沖縄の人達の心情を察した言葉で、この言葉に多くの人が感動したのではないでしょうか。阿修羅掲示板「天皇誕生日の記者会見に思う」にはその様子が伝えられていました。
日本は西洋文化導入の過程で日本の伝統の多くを捨ててしまったと言われますが、辺野古の埋め立ては、その象徴的出来事、と拙ブログでは感じています。まさに、日本人のアイデンテテイ、そして国家の品格が問われている出来事と思われます。
なお、上と下の写真は、記事と関係ありませんが、2年前に見たマダガスカルのジャカランダの花風景(11月)です。



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