関東に着いた旧石器時代人はしばらく海岸部に留まったようだ

関東に着いた旧石器時代人はしばらく海岸部に留まったようだ(縄文時代と日本人)
前回、旧石器時代(縄文以前)の人は関東に多く居たことを紹介しました。今回は、その旧石器時代人が、どのように関東に住み、どのように広がっていったのか愚考します。
まず、文科省の参考資料: 平成24年度 周知の埋蔵文化財包蔵地数のデータを使い、縄文時代と縄文以前の遺跡数を整理しますと、下表のとおりです。また、その表を基に関係図を上トップに示しました。

この表と図では、縄文以前の遺跡は、海に面した県で多い傾向があります。例えば、東京で672点、千葉で639点と多く、一方、内陸部では、栃木で82点、群馬で192点と少なくなっています。これは、旧石器時代人は、黒潮に乗って南方から来たことから考えますと、東京や千葉など貝類が豊富な海岸部に、まず住み着いたと考えることができ、普通のことと思われます。
次に縄文時代の遺跡分布ですが、内陸部で多い傾向があります。因みに、長野は5882点と最高です。
そして、縄文時代の遺跡数の増加割合を、縄文時代遺跡数/縄文以前遺跡数、という数値(倍数)で評価しますと、内陸部で多い傾向が明確に現れます。その数値は上表に示してありますが、1位は山梨の67.5倍、2位が栃木の32.7倍、一方、下位は東京の5.7倍、千葉の9.2倍です。
興味深いのは長野県です。長野県には、縄文以前から多数の遺跡があり、人間が住むことのできる環境が多くあったものと思われます。そして、長野県は日本の縄文時代の先駆けとなった、と思われます。
遺跡の数の流れからしますと、おそらく、東京湾辺りに上陸した最初の日本人は、その後、千葉、埼玉、群馬を通って長野県に辿り着いたと思われます。

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