fc2ブログ

黒曜石は縄文時代の基礎を作った

9 Comments
レインボー
長野県黒曜石産地と伝播


黒曜石は縄文時代の基礎を作った(縄文時代と日本人)

前回、長野県には5万年前の旧石器時代の遺跡が多くあり、黒曜石がその生活を支えたことを紹介しました。関連し、今回は、黒曜石はたいへん有用で、縄文時代への扉を開いたことを愚考します。

まず、関連する「諏訪の考古学―その1」の記事を引用しますと次のとおりです。

1 黒耀石の宝庫諏訪

 信州に、そして諏訪に、人類の足跡がはっきりしてくるのは今からおよそ3〜2万年前のことである。列島をナウマンゾウやオオツノジカが行き交う時代である。八ヶ岳山麓の茅野市渋川遺跡や諏訪市茶臼山遺跡には、黒耀石の鋭利な石器や打製石斧を持つ人々が生活していた。

 諏訪には旧石器時代の人々の活発な生活の痕跡が多く見出されている。特に諏訪湖周辺の高い台地上の、諏訪市上ノ平遺跡は、槍先形尖頭器がたくさん出土することで知られている。本州では最大、良質の黒耀石鉱脈が、下諏訪町の和田峠から星ヶ塔、長和町男女倉から星糞峠、八ヶ岳の茅野市冷山や麦草峠に露頭となって現れていた。黒耀石原産地の直下にある諏訪湖周辺や八ヶ岳山麓は、この時代の遺跡がたくさんあって、巧みな技術によって槍先形尖頭器など鋭利な石器がたくさんつくられた。

 黒耀石はこれらの遺跡に残した旧石器人の手から手へと、県内はもちろん、関東から甲信越一円にもたらされたのである。諏訪に通ずるストーン・ロードが幾筋も諏訪に通じていたことが想像される。

2 縄文の大地に通ずる道

中部山岳地の森の文化縄文―ムラとムラを結ぶ交易ネットワーク

 今から10,000年前、ナウマンゾウやオオツノジカが信州の山野から姿を消すころ、信州の大地は針葉樹林から落葉広葉樹林の森に大きく変容、自然と共生し森林の恵みを最大限に活用した縄文文化が芽生えた。

 縄文時代の確立期は今から10,000年から8,000年前ころ、縄文時代早期と考えられている。諏訪市霧が峰下の細久保遺跡、岡谷市の勝弦峠付近の樋沢遺跡などの山間地に遺跡が展開する。「縄文の都」とたとえられる八ヶ岳山麓を中心とした諏訪の縄文文化の隆盛はここにその萌芽を見るのである。(引用終了)。

引用が長くなりましたが、その内容を、前回記事を含めてまとめますと、次のような感じかと思います。

旧石器時代から、鋭利で有用な黒曜石は諏訪湖周辺の河原で採集され、それに加工が加えられ、5万年前から使われてきた。また、諏訪湖周辺の山地には黒曜石原石の山があり、縄文時代には掘り出され、関東など広い地域で交易品として使われ、長野県諏訪湖周辺は原産地として栄えた。

関連し、黒曜石を中心に、縄文時代の生活について考えますと、縄文時代は定住型社会ですので、住居が必要となります。そこで材木の切り出しが必要で、この材木の切り出しに黒曜石の斧が使われた。すなわち、黒曜石は、狩り用の矢じりや調理用の包丁だけでなく、材木切り出し用品として、生活に欠かせない道具であった、と思われます。

そして、Wikipediaによれば、これら長野県和田峠産の黒曜石は人気があり、加工された矢じりが北海道まで運ばれて利用されていたことになります。

関連し、上トップに長野県の黒曜石の山地と交易について示しました。

また、下の写真は「諏訪市の旧石器時代と黒曜石」紹介の黒曜石出土品です。

黒曜石Wikipedia紹介


日本史ランキング
レインボー
Posted byレインボー

Comments 9

There are no comments yet.
トモタカ
黒曜石伝播の形態

こんばんは。
黒曜石の検索でこちらにたどり着きました。

黒曜石の伝播には以前から関心を持っていました。
黒曜石伝播の秘密を明らかにすることが縄文文明の核心に迫れると考えています。
推測にしたすぎませんが、黒曜石は交易ではなく無償贈与によって広まったのではないでしょうか。

糸魚川の翡翠も無償贈与による伝播であると推測しています。

もし黒曜石や翡翠が縄文時代に交易品として扱われていたとするなら、産地の集落は大いに潤い
他の縄文集落とは全く異なる発展を遂げたはずです。

産地の縄文集落跡とそうでない集落跡を比較しても、大きな差異は認められないはずです。

なぜ交易ではなく、無償贈与だったのか。
これを深く探れば縄文文明に戦争がなかった理由に迫れると考えています。

  • 2019/10/22 (Tue) 22:11
  • REPLY
レインボー
レインボー
Re: トモタカ 様、黒曜石伝播の形態

トモタカ 様
たいへん貴重なコメント、そしてご推察、ありがとうございます。

御指摘の黒曜石伝播の形態ですが、無償もあったろうし、交易品でもあったと思われます。

例えば、黒曜石産地の八ヶ岳を中心とした中部高地は美しい縄文土器やビーナス像の出土で有名ですが、
こうした芸術品の背景には黒曜石という交易品があったのではないかと思っています。
草々

> こんばんは。
> 黒曜石の検索でこちらにたどり着きました。
>
> 黒曜石の伝播には以前から関心を持っていました。
> 黒曜石伝播の秘密を明らかにすることが縄文文明の核心に迫れると考えています。
> 推測にしたすぎませんが、黒曜石は交易ではなく無償贈与によって広まったのではないでしょうか。
>
> 糸魚川の翡翠も無償贈与による伝播であると推測しています。
>
> もし黒曜石や翡翠が縄文時代に交易品として扱われていたとするなら、産地の集落は大いに潤い
> 他の縄文集落とは全く異なる発展を遂げたはずです。
>
> 産地の縄文集落跡とそうでない集落跡を比較しても、大きな差異は認められないはずです。
>
> なぜ交易ではなく、無償贈与だったのか。
> これを深く探れば縄文文明に戦争がなかった理由に迫れると考えています。

  • 2019/10/23 (Wed) 08:21
  • REPLY
トモタカ
信濃川流域の縄文土器

レインボーさま

信濃川流域の多くの縄文遺跡からは国宝にも指定された素晴らしい火炎型土器が多数出土しています。この地域からは黒曜石に匹敵するようなものは産出されません。
従って黒曜石産地の土器や土偶を黒曜石の交易と結びつけるのは早計だと思います。

交易は歴史時代なら文献で証明できますが、先史時代に交易が行われていたという証拠は何もありません。歴史時代に行われていたから先史時代もそうであろうとの推測は成り立ちません。特に他の文明圏とは全く異なる形態を有する縄文文明を他の文明から類推すると間違った結果になると考えます。

現代の縄文愛好家は縄文土器や土偶を芸術作品として捉えますが、縄文人に芸術作品を創作するという意識があったのかは甚だ疑問です。火炎型土器に関しては私なりの答えは出ており、あれは芸術作品ではなく全く別の意識で作られました。

  • 2019/10/23 (Wed) 09:26
  • REPLY
レインボー
レインボー
Re: トモタカ様、信濃川流域の縄文土器

トモタカ様
たいへん貴重なコメント、そして、縄文時代に関する深い考察、参考になります

信濃川流域の縄文土器ですが、ご指摘は半分当たっていると思います。
しかし、当時、物々交換による交易があったことは多くの研究者が指摘していることで、否定しがたいと思います。

信濃川流域の場合、黒曜石以外の余剰農産物があり、それが交易品となったのではないでしょうか。
土器が芸術品かどうかの判断はご指摘のとおりと思われます。
草々

> レインボーさま
>
> 信濃川流域の多くの縄文遺跡からは国宝にも指定された素晴らしい火炎型土器が多数出土しています。この地域からは黒曜石に匹敵するようなものは産出されません。
> 従って黒曜石産地の土器や土偶を黒曜石の交易と結びつけるのは早計だと思います。
>
> 交易は歴史時代なら文献で証明できますが、先史時代に交易が行われていたという証拠は何もありません。歴史時代に行われていたから先史時代もそうであろうとの推測は成り立ちません。特に他の文明圏とは全く異なる形態を有する縄文文明を他の文明から類推すると間違った結果になると考えます。
>
> 現代の縄文愛好家は縄文土器や土偶を芸術作品として捉えますが、縄文人に芸術作品を創作するという意識があったのかは甚だ疑問です。火炎型土器に関しては私なりの答えは出ており、あれは芸術作品ではなく全く別の意識で作られました。

  • 2019/10/24 (Thu) 08:42
  • REPLY
トモタカ

レインボーさま


>当時、物々交換による交易があったことは多くの研究者が指摘していることで、否定しがたいと思います。

黒曜石や翡翠は遠方にまで伝播しましたが、それが物々交換による交易であったことの
証明はほぼ不可能です。指摘した研究者たちはどのようにして物々交換を確認したのでしょうか。

縄文遺跡からは貨幣に相当するものが見つかっていないから、物々交換だと思い込んでいるのだと思います。歴史上多くの科学者や研究者が誤った説を唱えては修正されてきました。縄文の交易に関して、いくら多くの研究者が指摘しようがそれが真実だとの証明にはなりません。

交易によるモノの交換は、貨幣を媒介しようが物々交換であろうが基本的には等価交換です。私は等価交換の根底にある意識や価値観や世界観と、無償贈与の根底にある意識や価値観や世界観の違いを問題にしているのです。

これを深く理解できれば、なぜ縄文文明には一万年以上にわたって戦争がなかったかを理解・推測できます。

ちなみに、私たちが知る交易を行っていた文明のほとんどは戦争をやっています。
なぜでしょうか。

  • 2019/10/25 (Fri) 00:51
  • REPLY
トモタカ

レインボーさま

「星くずの里たかやま黒耀石体験ミュージアム」の大竹幸恵学芸員が黒曜石の伝播に関してどのような説を唱えているかお調べ下さい。

彼女は女性らしいしなやかな感性と具体的な証拠で黒曜石の伝播について述べています。ただし、彼女は文明史や文化史や哲学や思想や経済史などには明るくないので、私には物足りないところがあります。

  • 2019/10/25 (Fri) 01:10
  • REPLY
zone

私有財産意識の薄かった時代に黒曜石伝播は移住を伴ったか、奴隷貿易か物々交換か土地占有権と引き換えか、或いは翡翠が貨幣の役割を担ったのかもしれない。

レインボー
レインボー
Re: トモタカ 様、縄文時代の交易

トモタカ 様
たびたびの貴重なコメント、ありがとうございます。

縄文時代の交易ですが、三内丸山遺跡の出土物はどうでしょうか。
富山の翡翠や北海道の黒曜石が有名ですが、ほとんどは加工されたものです。

また、北海道の採石場には加工場も確認されています。おそらく物々交換のために加工されたものと思われます。
縄文時代には貨幣はありませんでしたが、物々交換があったことは確かと思っています。

物々交換があったのか。さらなる研究結果を待って結論を出されてはいかがでしょう。
草々


> レインボーさま
>
>
> >当時、物々交換による交易があったことは多くの研究者が指摘していることで、否定しがたいと思います。
>
> 黒曜石や翡翠は遠方にまで伝播しましたが、それが物々交換による交易であったことの
> 証明はほぼ不可能です。指摘した研究者たちはどのようにして物々交換を確認したのでしょうか。
>
> 縄文遺跡からは貨幣に相当するものが見つかっていないから、物々交換だと思い込んでいるのだと思います。歴史上多くの科学者や研究者が誤った説を唱えては修正されてきました。縄文の交易に関して、いくら多くの研究者が指摘しようがそれが真実だとの証明にはなりません。
>
> 交易によるモノの交換は、貨幣を媒介しようが物々交換であろうが基本的には等価交換です。私は等価交換の根底にある意識や価値観や世界観と、無償贈与の根底にある意識や価値観や世界観の違いを問題にしているのです。
>
> これを深く理解できれば、なぜ縄文文明には一万年以上にわたって戦争がなかったかを理解・推測できます。
>
> ちなみに、私たちが知る交易を行っていた文明のほとんどは戦争をやっています。
> なぜでしょうか。

  • 2019/10/25 (Fri) 08:30
  • REPLY
レインボー
レインボー
Re: zone 様、翡翠が貨幣の役割

zone 様
貴重なコメント、ありがとうございます。

御指摘の点、同感です。特に「翡翠が貨幣の役割」、その通りだと思います。
草々


> 私有財産意識の薄かった時代に黒曜石伝播は移住を伴ったか、奴隷貿易か物々交換か土地占有権と引き換えか、或いは翡翠が貨幣の役割を担ったのかもしれない。

  • 2019/10/25 (Fri) 08:43
  • REPLY