黒曜石の加工に日本の技術立国の芽が見える
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レインボー

黒曜石の加工に日本の技術立国の芽が見える(縄文時代と日本人)
日本の旧石器時代の様子について検討してきました。関連し、今回は、黒曜石は旧石器時代のキーワードと思われること、日本の技術立国の萌芽がそこに見えることについて愚考します。
旧石器時代、日本に辿り着いた人々は、まず、最も簡単に採集できる食料である貝のある海岸に住み着き、その後、内陸部へ移住していったことを検討してきました。
そして、内陸部では、栗などの食料が簡単に手に入ることに加え、鋭利で狩りや調理に使える黒曜石を発見し、長野県の事例ですが、ナウマンゾウの解体もしてきました。そして、この黒曜石を発見したからこそ、長野県は人口が増え、旧石器時代遺跡が最も増えたものと思われます。
Wikipediaによれば、日本の黒曜石について次のように解説しております。
火山活動が活発な日本であるが、流紋岩は酸性岩であり火山の多くが爆発的噴火をして火山灰やデイサイトとして拡散してしまう。そのため急冷されてガラス質になる条件が必要な黒曜石は特定の場所でしかとれない。日本では約70ヶ所以上が産地として知られているが、良質な産地はさらに限られている[2]。後期旧石器時代や縄文時代の黒曜石の代表的産地としては北海道遠軽町、長野県霧ヶ峰周辺(和田峠)、静岡県伊豆天城(筏場や柏峠)、熱海市上多賀、神奈川県箱根(鍛冶屋、箱塚や畑宿)などの山地、海水に接して急冷される機会があった島嶼では、東京都伊豆諸島の神津島・恩馳島、島根県の隠岐島、大分県の姫島、佐賀県伊万里市腰岳、長崎県佐世保市周辺などが知られる。このうち、姫島の黒曜石産地は、国の天然記念物に指定されている[3]。
黒曜石が古くから石器の材料として、広域に流通していたことは考古学の成果でわかる。例えば、伊豆諸島神津島産出の黒曜石が、後期旧石器時代(紀元前2万年)の南関東の遺跡で発見されているほか、伊万里腰岳産の黒曜石に至っては、対馬海峡の向こう朝鮮半島南部の櫛目文土器時代の遺跡でも出土しており、隠岐の黒曜石はウラジオストクまで運ばれている。また北海道では十勝地方も産地として非常に有名で、北海道では現在でも「十勝石」という呼び名が定着している。(引用終了)
すなわち、黒曜石は、北海道から九州まで、旧石器時代から縄文時代にかけて使われていたことになります。長野県ではナウマンゾウの解体など、5万年前から利用されていたと思われます。
そして、当然のことですが、より鋭利な黒曜石の道具をもとめ、産地の開発や、加工が発達したと思われます。こうした旧石器時代からはじまった加工技術の精神は、縄文時代、弥生時代を通じて現代にまで続いていると思われます。
「日本の技術立国の姿は縄文時代まで遡れること」を紹介したことがありますが、そうした素質は、それ以前の5万年前の旧石器時代の黒曜石の加工から始まったと考えた方が良さそうです。
以上、まとめますと、縄文時代のキーワードは縄文土器と思われますが、旧石器時代のキーワードは黒曜石と思われます。そして、これらの背景があったから、土器(縄文土器)が世界に先駆けて作られ、縄文時代は豊かになっていった、と思われます。
関連し、Wikipediaにあった世界の黒曜石の産地を上トップの図に示しました。日本に55か所ありますが、日本の近辺にあるのは、北朝鮮と中国の国境にある1か所だけです。黒曜石の利用で日本は旧石器時代から有利な位置にあったことは間違いありません。

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