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古墳時代の人口は遺跡数に比例する

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レインボー
古墳時代遺跡数と人口の関係


古墳時代の人口は遺跡数に比例する(西日本の古代)

前回、40年前に推定された弥生時代人口推定が、その後の遺跡発見から合わなくなってきていることを指摘しました。一方、古墳時代については、人類が明らかに関与した古墳というものがあり、人口推定はしやすいと思われますが、その報告は見つかりません。

そこで、今回は、古墳時代遺跡数から人口推定が可能なのかを検討してみたいと思います。

方法は、「文化庁の参考資料(古墳時代遺跡数)」、前回推定した弥生時代(200年)人口、そして、「鬼頭宏(1996)が推定した奈良時代(725年)人口」を用い、推定します。

まず、基礎資料となるこれらのデータを下表に示しました。

古墳時代人口推定のための基礎資料

次に、これらのデータを用い、弥生時代(200年)から奈良時代(725年)人口増加率を計算し、その人口増加率から古墳時代(500年)に当たる人口を推定しました。その結果を下表に示しました。

古墳時代の人口と増加率

弥生時代から古墳時代は急激な人口増加があったときで、異民族が移入したのではないかという説もありますが、年当たり人口増加率は最大でも1.0026で0.3%以下です。水田稲作導入による自然増加と観ることができます。

次に、これら推定した古墳時代人口と古墳時代遺跡数の関係を上トップ図に示しました。全地域(上図左側)で観ると、関東地域は離れた場所にあり、遺跡数は多いが人口は少ない特徴があります。おそらく、関東地域は横穴など小規模古墳が多いため、そのような関係になっている可能性がありますが、この問題は後ほど検討したいと思います。

そこで、関東を除いた地域で表示すると上図右側のとおりで、遺跡数と人口の間に強い正の相関関係が認められます。すなわち、古墳時代人口=遺跡数X100人の関係になります。

この結果は、古墳時代遺跡数から人口が推定できることを示します。おそらく、推定のために用いたデータ、すなわち、前回訂正の弥生時代の人口推定、および鬼頭宏(1996)の奈良時代(725年)人口推定が妥当であったことを示すものと思われます。

まとめますと、横穴古墳など小規模古墳の多い関東地域を除きますと、その他の地域は、古墳遺跡数×100人で、おおよその古墳時代人口が分かると結論されます。一方、関東は、古墳遺跡数×33人ぐらいで人口が推定されます。


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レインボー
Posted byレインボー

Comments 4

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形名
遺跡数と人口との相関関係について

はじめまして。
なるほど、弥生と奈良時代の人口推計値から人口増加率を計算して、中間の古墳時代(500年)の1遺跡あたりの人口比を計算しているのですね。言い換えると時代の変遷で、1遺跡当たりの人口は増加していると見てよいわけですね。素晴らしいです。
ただ、奈良時代の人口推計の方法論が分からないのですが、弥生時代のは、遺跡数に一定の人口比を掛けたものですね。従って、この時点で遺跡数と人口は相関があるのは当然となります。人口の増加率を加味したとしても相関が消える訳ではないですよね。従って、「正の相関関係が認められる」というのは少し違和感を感じました。これは奈良時代の人口推計には、遺跡数(居住遺跡数)とは無関係な要素も含んでいるので、このように表現されたのでしょうか?

  • 2019/04/12 (Fri) 13:01
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レインボー
レインボー
Re: 形名 様、遺跡数と人口との相関関係について

形名 様
たいへん貴重なコメント、ありがとうございます。

遺跡数と人口との相関関係について、ですが、私も、あまりにも合い過ぎている感じがしました。
しかし、使ったデータは、それぞれ独立ですので、とりあえず問題ないと判断しました。

ご指摘の弥生時代遺跡数と古墳時代遺跡数ですが、これらは独立したデータです。
そこで、弥生時代遺跡数と奈良時代推定人口から推定した古墳時代人口は、古墳時代遺跡数とは独立した数字と判断しました。

ただし、古墳時代遺跡数が奈良時代人口の推定に使われている可能性はあると思われます。
奈良時代の人口推計については、まったく分かりませんが、使ってみたというのが真相です。
草々

> はじめまして。
> なるほど、弥生と奈良時代の人口推計値から人口増加率を計算して、中間の古墳時代(500年)の1遺跡あたりの人口比を計算しているのですね。言い換えると時代の変遷で、1遺跡当たりの人口は増加していると見てよいわけですね。素晴らしいです。
> ただ、奈良時代の人口推計の方法論が分からないのですが、弥生時代のは、遺跡数に一定の人口比を掛けたものですね。従って、この時点で遺跡数と人口は相関があるのは当然となります。人口の増加率を加味したとしても相関が消える訳ではないですよね。従って、「正の相関関係が認められる」というのは少し違和感を感じました。これは奈良時代の人口推計には、遺跡数(居住遺跡数)とは無関係な要素も含んでいるので、このように表現されたのでしょうか?

  • 2019/04/12 (Fri) 19:46
  • REPLY
michikusa520

興味深く拝見致しました。
一つの遺跡あたりの人口が100人、ということは、一つの遺跡に埋葬された首長を支えていた民衆が100人、と思っていいのでしょうか。
同じ一族の首長を、世代が変わっても、常時100人ほどの民衆が支えていた、というイメージ、何となくで恐縮ですが、私個人の古墳時代のイメージに合致します。
小さな古墳であれば、それくらいの人数でも作れる?のかも知れませんね。

今後も楽しみにしております。

  • 2019/04/15 (Mon) 12:31
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レインボー
レインボー
Re: michikusa520 さん、一つの遺跡あたりの人口が100人

michikusa520 さん
貴重なコメント、ありがとうございます。

「一つの遺跡あたりの人口が100人」ですが、あくまで計算結果です。
文化庁のデータは、古墳時代すべての合計ですので、その当時(500年頃)の人口ではありません。

そのような数字ですが、なぜか、1古墳関係の人口にあっているような錯覚を感じる数字になっているということに
なります。
草々


> 興味深く拝見致しました。
> 一つの遺跡あたりの人口が100人、ということは、一つの遺跡に埋葬された首長を支えていた民衆が100人、と思っていいのでしょうか。
> 同じ一族の首長を、世代が変わっても、常時100人ほどの民衆が支えていた、というイメージ、何となくで恐縮ですが、私個人の古墳時代のイメージに合致します。
> 小さな古墳であれば、それくらいの人数でも作れる?のかも知れませんね。
>
> 今後も楽しみにしております。

  • 2019/04/15 (Mon) 22:25
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