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弥生時代の九州の中心地は福岡と宮崎だった

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レインボー
九州各県の弥生時代と古墳時代遺跡数


弥生時代の九州の中心地は福岡と宮崎だった(西日本の古代)

拙ブログ訪問、ありがとうございます。

さて、古代の遺跡数データとして「文化庁の参考資料:平成24年度 周知の埋蔵文化財包蔵地数」がありますが、日本古代の情報が包括的に含まれており、たいへん重要な資料と思われます。

この資料を用い、前回は全国の縄文時代~弥生時代の様子について検討し、弥生時代の中心地は西日本、特に九州(福岡)であることを検討しました。

今回は、九州各県の古代の遺跡数から、その古代の中心地を検討します。そして、未だに論争が続いている邪馬台国の場所についても愚考していく予定です。

まず、九州各県の遺跡数を、旧石器時代、縄文時代、弥生時代、古墳時代別にまとめたのが下表です。

九州地域古代の県別遺跡数

この表から、旧石器時代遺跡は長崎と大分で多いこと、縄文時代は宮崎で多いことが分かります。

また、弥生時代と古墳時代は福岡と宮崎で多いことが分かります。関連し、邪馬台国時代と関連の深い弥生時代と古墳時代の九州各県の遺跡数を上トップ図に示しました。弥生時代は水田稲作が導入された時期で、それが福岡で一早く広がったことを示すと思われます。

一方、宮崎ですが、縄文遺跡が最も多く、かつ弥生遺跡も多かったことから推察しますと、宮崎の縄文人(アイヌ系民族)が、稲作民族のマレー系民族の助けを借りて水田稲作を受け入れたと推察されます。

そして、古墳時代との関係ですが、弥生時代遺跡数と古墳時代遺跡数の関係を下の図に示しました。この図では、弥生時代遺跡数が多いと古墳時代遺跡数も多い関係が認められます。すなわち、弥生時代の稲作が人口を増やし、その結果、小国家が生まれ、古墳が作られるようになったという関係を見ることができます。

九州各県の弥生時代遺跡数と古墳時代遺跡数の関係

以上のデータは、弥生時代から古墳時代にかけて、九州では福岡県が中心地だったこと、すなわち、そのときに生まれた邪馬台国は福岡または近辺にあったことを強く示唆するものと思われます。

次回は、この知見を参考に、魏志倭人伝にあります邪馬台国と投馬国の関係について愚考します。


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Posted byレインボー

Comments 2

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しらかべ
福岡と宮崎ですか

なかなかおもしろい結果を拝見しました。

  • 2019/05/06 (Mon) 17:42
  • REPLY
レインボー
レインボー
Re: しらかべ 様、感謝

しらかべ 様
貴重なコメント、ありがとうございます。

次回の記事も よろしくお願いします。
草々

> なかなかおもしろい結果を拝見しました。

  • 2019/05/06 (Mon) 22:19
  • REPLY