宮崎は神武天皇発祥地というのは本当と思われる

宮崎は神武天皇発祥地というのは本当と思われる(西日本の古代)
日本書紀と古事記は歴史的事実を含んだフィクションと拙ブログは観ています。そして、「宮崎(日向)は神武天皇発祥の地」という記事を以前に紹介しました。
今回は、前回の「弥生~古墳時代に宮崎は南九州の中心地だったこと」と関連し、宮崎(日向)は神武天皇の発祥地だったことについて再度愚考します。
まず、『日本書紀』の神武天皇東征に関するWikipedia記事によりますと、「神日本磐余彦天皇(カムヤマトイワレビコ、神武天皇)は45歳(数え)の時、・・・遠くの地では争い事が多く、塩土老翁(シオツツノオジ)によれば東に美しい国があるそうだから、そこへ行って都を作りたいと言って、東征に出た。」とあります。
拙ブログでは、この「遠くの地では争い事が多く」について、「魏志倭人伝の倭国の大乱のこと」と理解しました。すなわち、投馬国(日向=宮崎)に居た神武天皇は、先進地の邪馬台国で起こった大乱の悲惨さを見たと思われます。関連し、拙ブログでは、「倭国の大乱で人口増加が少なくなったこと」を紹介しております。
そこで、神武天皇は、戦争のない美しい国をもとめ、東征したと思われますが、この説を裏付ける証拠として、同時期に建設された奈良県の「纏向遺跡」があります。関連し、「奈良の纏向遺跡は神武天皇の王宮跡と思われる」と拙ブログでアップしております。
前回、宮崎は、弥生遺跡と古墳遺跡が多く南九州の古代の中心地だったことを指摘しましたが、その結果として「投馬国」として魏志倭人伝にも登場することになったと思われます。「投馬国」(宮崎)は、まさに神武天皇発祥の地として相応しいと思われます。
一方、神武東遷は北九州(福岡県)の「日向」の地から行われたという説もあります。この説では、二つの問題がクリアされなくてはなりません。
一つは「日本書紀」の記述と合致しません。例えば、神武天皇が日向を出たとき船で宇佐国(大分県)に向かったとありますが、北九州の日向ですと、船で行く必要はありません。日本書紀は歴史的事実を入れた創作と思われますが、この場合は事実に基づいていることを否定する必要はありません。
もう一つは、記紀における倭国の扱いです。記紀には奴国や邪馬台国、さらには倭の五王などの倭国のことがまったく書かれておりません。もし、神武天皇が北九州倭国の出身なら、倭国を無視することはありえません。
関連し、上の図は神武東遷関連の地図です。
なお、「神武天皇」に興味のある方は、拙ブログ左側にありますカテゴリ欄の「神武天皇の日本統一の夢」をクリックしますと今までの記事を見ることができます。

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