「海彦」は何故「山彦」に負けたのか
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レインボー

「海彦」は何故「山彦」に負けたのか(西日本の古代)
海彦・山彦物語は記紀にある神話ですが、弟(山彦)が兄(海彦)を従えるという儒教に反することが描かれております。「儒教の教えは聖徳太子の17か条の憲法にもあること」から、その教えは分かっていたと思われますが、なぜ、儒教に反するようなことが記紀に描かれているのか、謎です。
また、山彦は三男となっていますが、なぜ三男なのか、これも謎です。
今回は、これらの謎について、記紀の意図から愚考します。
物語は、神話時代、3人兄弟の葛藤と戦いを描いたものですが、長男(兄)の海彦と三男の山彦の争いが中心になります。
まず、弟の山彦は兄の釣り道具を借り、釣りをしているうちに針を無くしてしまいます。その結果、兄に釣り針を返してくれとしつこく迫られ、嘆いていると神が現れ助けてくれます。そして、竜宮城へ連れていってもらい、そこで妻を得、かつ、亡くした釣り針も見つけることができ、兄にそれを返すことができました。
それで終わればハッピイエンドですが、問題はそれからです。
その後、兄と弟は死にもぐるいの戦いをし、最後は神の力を借りた弟の山彦が勝ち、弟が兄を従わせることになります。
この話を、兄は先輩の倭国、三男の弟は後輩の大和国、中間の次男を「吉備国」とすると、日本の歴史そのものです。拙ブログでは、これらのことを検討してきましたが、再度述べると次のとおりです。
まず倭国ですが、北九州にあった倭国は海洋系のマレー系民族の多い国で、日本で最初の国(倭国)を作りましたが、記紀神話で長男が海彦と呼ばれたのは、そうしたルーツがあったためと思われます。
そして、二番目に水田稲作開始の早かった吉備国が生まれました。水田稲作開始が比較的早かったことは、マレー系民族の影響があったためと思われます。しかし、記紀神話で特に記載がないのは、三男の山彦と戦わなかったためと思われます。
そして、三番目に大和国が生まれましたが、畑作民族のツングース系の多い国で、このためか水田稲作の開始も遅れました。記紀神話で三男が山彦と呼ばれたのは、そうしたルーツを暗示していると思われます。
関連し、日本人のDNAは、アイヌ系が35%、南方系稲作民族のマレー系が30%、北方系畑作民族のツングース系が30%、その他5%であることが分かっています。
記紀にある天孫降臨の神話は北方系ツングース系の神話です。山彦が主役となったのは、そのような日本民族成立過程でツングース系の山彦が天皇のルーツとなったことを暗示していると思われます。
そして、弟の山彦の大和国は、663年の白村江の戦いで弱った海彦の倭国を滅ぼしてしまいます。神話では神の助けを借り、兄の海彦を従えることになります。そして、その神の力を得た山彦の子供の子、すなわち山彦の孫が神武天皇ということになっています。
山彦は神話の中の人物、しかし、その孫の神武天皇は実際の歴史上の人物です。まさに、神話とつながりのある神武天皇の出現によって、大和国の始まりが完成したことになります。
以上のことから、海彦・山彦の記紀神話はフィクションですが、倭国と大和国の関係をモチーフにした神話であったとすると、日本の実際の歴史と一致します。そして、次男を吉備国としますと、吉備国は大和国より先にあった国で、歴史的事実と合うように次男として登場させたのではないかと思われます。
記紀全体を通じて北九州にあった倭国のことは記述されていませんが、この神話では間接的に触れていることになります。ここに、実際に歴史上あったことを完全に否定することはできない記紀作成者の心情があるかもしれません。
関連し、まとめ図を上トップ、関連の背景を下図に示しました。


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