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日本の古代史は戦前と変っていない

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レインボー
捏造の古代史(表紙)


日本の古代史は戦前と変っていない(古代史の虚像と書籍)

我が国古代史研究の問題点を指摘している「捏造の日本古代史」(相原精次 2017)を読み終えました(上トップ写真参照)。拙ブログの内容と一致するところも多く勉強になりました。

今回はその読後感想を述べてみたいと思います。

まず、作者の狙いは、「はじめに」にある次の言葉と思われます。

戦争史でもあった「戦前」という背後に据えられていたのは「古代史」の虚像だった。こんな大きなテーマが、戦後70年間「言わぬが華」として、意図的に追及することを回避してきたのではないか。そんなことを思いながら、言わずに来てしまった問題とは何かを、本書で考えてみたいと思うのである。(引用終了)

そして、その本書の内容は次のとおりです。

第2章「日本書紀の解体」では、日本書紀の内容を全体的に観ると、日本書紀には「日本」が付けられているが、まつろわぬ者が相当居て、当時(8世紀)、「日本」の範囲に関東以北は含んでいなかったという認識が必要であることを強調しております。そして、日本書紀には我が国のことよりも朝鮮半島の記事の方が多いが、百済、新羅のことは戦前には無視されてきたことを指摘しています。

第3章「古墳が語る古代史の真実」では、近畿よりも関東の方で古墳数が多い現実はあるにもかかわらず、それは、「関東にまで大和朝廷の勢力の波及を物語るもの、古墳=大和文化という認識」が今でも強いこと、かつ、関東の古墳はそのような扱いを受け続けてきたことを指摘しています。

そして、「関東の古墳文化を見なそう」という語りで、関東に、3世紀建造という最古級の前方後円墳(横浜市海老名秋葉山古墳群)など多くの個性的な古墳があることを紹介しています。

すでに拙ブログでも一部を紹介してきましたが、それら関東の古墳遺跡から、独特の人物はにわ(千葉県芝山古墳出土の西洋人風の顔立ち、表紙絵のはにわ参照)や、王冠、碑文入り鉄剣などが出土しております。

拙ブログでは大和朝廷は6世紀の継体王から始まったと観ていますが、その意味で、これらは、大和朝廷ができる前に作られたものであり、大和朝廷の勢力の波及を物語るものではないと思われます。

また、「明治が隠した古墳文化」では、古墳研究の先駆者イギリス人W・ゴーランドの業績を紹介し、それが戦前に無視されてきたことも取り上げています。

本書とは別に、現在、邪馬台国論争というものがあります。邪馬台国が何処にあったのかという論争ですが、邪馬台国が大和(奈良)にあったという戦前からの説は最近の研究では完璧に否定されております。因みに、拙ブログが所属しております「人気ブログランキング(日本史)」ですが、邪馬台国は大和にあった、と主張しているブログはありません。

それでも、表向きはまだ決着ついていないことになっています。偉い先生の言うことを否定できない、いかんともしがたい絶望的な焦燥感が日本の考古学研究に満ち溢れ、本書の言う「捏造の日本古代史」が終わっていないことを感じさせます。

時代は、平成を過ぎ、令和という新時代に入っています。令和の意味は、万葉時代に戻り聖徳太子の説いた和の精神で行こうという意味もあるようですが、その和の精神で、事実に基づいた学問(考古学会)の結論が尊重され、戦前の歴史認識から解き放たれることを願っています。


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レインボー
Posted byレインボー

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aoi
古代史はミステリー

高校時代に古代史研究家になりたいと言っていた男子生徒が、「古代史では飯が食えない!」ぞと家族や先生の反対されていました。
日本は記紀を国書とした。神話は封印、日銀の倉庫にあるとか?
明治時代の愚策のまま脱却することもなく凝り固まって異説の入る隙間もなし、お偉い先生の説以外は没されます。
ストーンサークルなど発見されると壊されてしまいましたね。
梅原龍三郎さんの本で溜飲を下げました。
三内丸山遺跡の発見以降だんだん古代の様子が分かって来ていますね、古代史はミステリー、興味は尽きません。


  • 2019/07/14 (Sun) 15:03
  • REPLY
レインボー
レインボー
Re: aoi さん、古代史はミステリー

aoiさん
いつも貴重なコメント、ありがとうございます。

古代史はミステリー、その通りだと思います。
それを遺跡などののデータに基づいて解明していく。ワクワクする話です。

しかし、それをさせてもらえないのが日本の古代史、残念です。
草々

> 高校時代に古代史研究家になりたいと言っていた男子生徒が、「古代史では飯が食えない!」ぞと家族や先生の反対されていました。
> 日本は記紀を国書とした。神話は封印、日銀の倉庫にあるとか?
> 明治時代の愚策のまま脱却することもなく凝り固まって異説の入る隙間もなし、お偉い先生の説以外は没されます。
> ストーンサークルなど発見されると壊されてしまいましたね。
> 梅原龍三郎さんの本で溜飲を下げました。
> 三内丸山遺跡の発見以降だんだん古代の様子が分かって来ていますね、古代史はミステリー、興味は尽きません。

  • 2019/07/14 (Sun) 16:42
  • REPLY
cosmos
学会は違えど、どこも同じ旧態依然、、、

>それでも、表向きはまだ決着ついていないことになっています。偉い先生の言うことを否定できない、いかんともしがたい絶望的な焦燥感が日本の考古学研究に満ち溢れ、本書の言う「捏造の日本古代史」が終わっていないことを感じさせます。
---
上記の日本古代史における御感慨、まことに、
東洋学においてもまったく相通じるものを感じております。
現代日本における東洋学の最高峰は、江戸時代の朱子学のままです。
朱子学は、当時の中国の皇帝の権力側におもねった義と忠を最高価値とする儒教の一派ですから
中央に権力を集中するにその偏り方が為政者にはたまらないのでしょうね。
忠たるをもって命を捧げさすのですから、
裏返せば、今の日本の外交姿勢などにも影響を与えていると
内弁慶が外の権威には物が言えないのでしょう。先の敗戦で軍部の精神支柱となっていたものです。
戦争責任があると言ってもいい儒学の一派です。
朱子学こそが、未だに反省もされずに霞が関の中軸を貫く官僚の思想そのものとして、亡霊のように生き延びているようです。
つまり近代化を推進した国家の中枢が朱子学派とは?と思われるでしょうが、
旧態依然なのです。
外向きには、軍部の思想を連合国から叩かれて反省したようにしていますが、
戦争の思想背景における根本的な反省が戦後においても、まったく為されていないので、その時の思想そのものは断罪をされていないように思います。
GHQ も朱子学派までは思いも至らなかったのでしょう。

今日に至っても、近代国家にはアリエナイ驚く様な姑息な旧態依然のような
官僚の顛末が時々飛び出して来ます。
戦後70年経っても霞が関から朱子学派を排除できないというのは、その原因は、戦前からの朱子学派のエライ大先生の弟子がまだ生きている、その権威の威光が残っているからです。
東洋学の権威もあって誰も否定できないのですね。

本音を言いますと、朱子学派を儒教の一派とも言いたくはないのですよ。
孔子の儒教を貶めた異教だと罵りたいくらいです。  ほほっ。
本来の孔子の儒学者なら、孔子の説いた最高価値は「孝」と思っています。
これは自分の親だけを大事にしたらいい。というだけのことではありません。
もっと、あまねく命への感謝、賛歌なのです。
これがあれば戦争などしなかったのではないかと思っています。
近代化の優等生の顔を持つ日本には、旧態依然の内臓があります。
この現実には、東洋学を志す者としては、いかんともしがたい焦燥感を持っています。
仏教にしても同じく、絶望感がひたひたと押し寄せている風景が眼前にあります。
これからの日本の命運と云う事を考えた時に、焦燥感どころか、
にっちにもさっちにも進めない強風に煽られている感がしております。
つまりは、日本自体が更新不能のまま不具合で喘いでいる状態、
未だバージョン 1.0なのかも知れませんね。

余計な?無関係な内容?を長々と書いてしまいました。
つい、常日頃、身につまされいるものですから、、、

  • 2019/07/15 (Mon) 17:24
  • REPLY
aoi
訂正

すみません、誤変換です
梅原龍三郎 ❌
梅原猛   ⭕

  • 2019/07/15 (Mon) 20:52
  • REPLY
レインボー
レインボー
Re: 寂光ーcosmos 様、学会は違えど、どこも同じ旧態依然、、、

寂光ーcosmos 様
たいへん貴重なコメント、しかも長文、ありがとうございます。

日本人の意識、なかなか変わらないこと、いろいろな分野でもそうであること、よく分りました。
草々

> >それでも、表向きはまだ決着ついていないことになっています。偉い先生の言うことを否定できない、いかんともしがたい絶望的な焦燥感が日本の考古学研究に満ち溢れ、本書の言う「捏造の日本古代史」が終わっていないことを感じさせます。
> ---
> 上記の日本古代史における御感慨、まことに、
> 東洋学においてもまったく相通じるものを感じております。
> 現代日本における東洋学の最高峰は、江戸時代の朱子学のままです。
> 朱子学は、当時の中国の皇帝の権力側におもねった義と忠を最高価値とする儒教の一派ですから
> 中央に権力を集中するにその偏り方が為政者にはたまらないのでしょうね。
> 忠たるをもって命を捧げさすのですから、
> 裏返せば、今の日本の外交姿勢などにも影響を与えていると
> 内弁慶が外の権威には物が言えないのでしょう。先の敗戦で軍部の精神支柱となっていたものです。
> 戦争責任があると言ってもいい儒学の一派です。
> 朱子学こそが、未だに反省もされずに霞が関の中軸を貫く官僚の思想そのものとして、亡霊のように生き延びているようです。
> つまり近代化を推進した国家の中枢が朱子学派とは?と思われるでしょうが、
> 旧態依然なのです。
> 外向きには、軍部の思想を連合国から叩かれて反省したようにしていますが、
> 戦争の思想背景における根本的な反省が戦後においても、まったく為されていないので、その時の思想そのものは断罪をされていないように思います。
> GHQ も朱子学派までは思いも至らなかったのでしょう。
>
> 今日に至っても、近代国家にはアリエナイ驚く様な姑息な旧態依然のような
> 官僚の顛末が時々飛び出して来ます。
> 戦後70年経っても霞が関から朱子学派を排除できないというのは、その原因は、戦前からの朱子学派のエライ大先生の弟子がまだ生きている、その権威の威光が残っているからです。
> 東洋学の権威もあって誰も否定できないのですね。
>
> 本音を言いますと、朱子学派を儒教の一派とも言いたくはないのですよ。
> 孔子の儒教を貶めた異教だと罵りたいくらいです。  ほほっ。
> 本来の孔子の儒学者なら、孔子の説いた最高価値は「孝」と思っています。
> これは自分の親だけを大事にしたらいい。というだけのことではありません。
> もっと、あまねく命への感謝、賛歌なのです。
> これがあれば戦争などしなかったのではないかと思っています。
> 近代化の優等生の顔を持つ日本には、旧態依然の内臓があります。
> この現実には、東洋学を志す者としては、いかんともしがたい焦燥感を持っています。
> 仏教にしても同じく、絶望感がひたひたと押し寄せている風景が眼前にあります。
> これからの日本の命運と云う事を考えた時に、焦燥感どころか、
> にっちにもさっちにも進めない強風に煽られている感がしております。
> つまりは、日本自体が更新不能のまま不具合で喘いでいる状態、
> 未だバージョン 1.0なのかも知れませんね。
>
> 余計な?無関係な内容?を長々と書いてしまいました。
> つい、常日頃、身につまされいるものですから、、、

  • 2019/07/15 (Mon) 21:59
  • REPLY
レインボー
レインボー
Re: aoi さん、訂正、了解しました。

aoi さん
訂正、了解しました。
草々

> すみません、誤変換です
> 梅原龍三郎 ❌
> 梅原猛   ⭕

  • 2019/07/15 (Mon) 22:01
  • REPLY
yamadera
大王

日本書紀は何故天智が郡制を始めたと改竄したか

消された日本紀  645年 評制開始
         701年 大宝律令 郡制に改革

日本書紀 645年 天智 乙巳の変 大化ここから郡制開始と改竄
     701年 大宝律令 内容なし祝いもなし

天智がこれを行ったと改竄すれば政治的迫力はまるで違い
現在までつながる大変な名君であったと見える
天智は山部の祖であり現在までつながっているとされる
大宝の改革 高市--忍壁大王 を消し去り、天智の称揚を図っていることは明白
大宝の郡制開始は木簡で確認された
大王は万葉集に記載がある

レインボー
レインボー
Re: yamadera様、大王

yamadera様
貴重なコメント、ありがとうございます。

日本書紀は何故天智が郡制を始めたと改竄したか、ですが、
小生には分かりません。

参考にさせて頂きます。
草々

> 日本書紀は何故天智が郡制を始めたと改竄したか
>
> 消された日本紀  645年 評制開始
>          701年 大宝律令 郡制に改革
>
> 日本書紀 645年 天智 乙巳の変 大化ここから郡制開始と改竄
>      701年 大宝律令 内容なし祝いもなし
>
> 天智がこれを行ったと改竄すれば政治的迫力はまるで違い
> 現在までつながる大変な名君であったと見える
> 天智は山部の祖であり現在までつながっているとされる
> 大宝の改革 高市--忍壁大王 を消し去り、天智の称揚を図っていることは明白
> 大宝の郡制開始は木簡で確認された
> 大王は万葉集に記載がある

  • 2019/07/16 (Tue) 07:52
  • REPLY
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戦前の学説

古墳は有力豪族の権力基盤のシンポルではなく公共事業でもなく、新たな水田開墾の過程で生じた残土処理と土砂崩れ対策の灌漑工事の必要から作られた、というのが戦前の主流派学説だった。しかし静岡大学農学部の研究によると、縄文時代の旧式の焼畑農業(陸稲を含む)から水田耕作に完全に取って代わったのはようやく安土桃山時代から。これだと大規模な農耕地開拓が終了するのは実際は16世紀頃となるので、古墳が8世紀以降作られなくなったのと矛盾する。
また、戦前の学説では縄文人=ただの原始人、日本人=弥生人・東アジア人同祖論が支配的だったので、欧米列強諸国の植民地主義に対抗して大東亜共栄圏を目指すべきだと考えられていた。ところが戦後になると、日本人=縄文人と弥生人の混血と捉えられるようになり、日本を絶対悪とみなす韓国の儒教的怨念、いつまで経っても民主化しない中国・北朝鮮の評判の悪さもあって、他のアジア諸国民とは一定の距離を置くようになった。

レインボー
レインボー
Re: 名無しさん、戦前の学説

名無しさん
戦前の学説に関する貴重なコメント、ありがとうございます。
参考にさせていただきます。
草々

> 古墳は有力豪族の権力基盤のシンポルではなく公共事業でもなく、新たな水田開墾の過程で生じた残土処理と土砂崩れ対策の灌漑工事の必要から作られた、というのが戦前の主流派学説だった。しかし静岡大学農学部の研究によると、縄文時代の旧式の焼畑農業(陸稲を含む)から水田耕作に完全に取って代わったのはようやく安土桃山時代から。これだと大規模な農耕地開拓が終了するのは実際は16世紀頃となるので、古墳が8世紀以降作られなくなったのと矛盾する。
> また、戦前の学説では縄文人=ただの原始人、日本人=弥生人・東アジア人同祖論が支配的だったので、欧米列強諸国の植民地主義に対抗して大東亜共栄圏を目指すべきだと考えられていた。ところが戦後になると、日本人=縄文人と弥生人の混血と捉えられるようになり、日本を絶対悪とみなす韓国の儒教的怨念、いつまで経っても民主化しない中国・北朝鮮の評判の悪さもあって、他のアジア諸国民とは一定の距離を置くようになった。

  • 2019/08/30 (Fri) 07:47
  • REPLY