岡山県の稲作民族ルーツ愚考
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レインボー

岡山県の稲作民族ルーツ愚考(西日本の古代)
前回、岡山県では6000年前から陸稲が作られていたことを紹介しました。今回は、この稲を導入した民族について愚考します。
日本人のルーツは、アイヌ系35%、マレー系30%、ツングース系(韓国系)30%の3民族ですが、拙ブログでは、日本に稲を持ちこんだのは、稲作民族のマレー系と確信しております。
岡山県で6000年前の稲遺跡が見つかった場所が海岸部であったことから推察しますと、彼らは、まず海岸部に住み、先に住んで居たアイヌ系民族や、その頃に日本に移住してきたツングース系民族と共存していたと推察されます。
関連し、日本に稲が持ちこまれた時期ですが、「鹿児島県の1.2万年前の火山灰層からイネのプラントオパールの発見」という情報から、1.2万年以前にマレー系民族は日本に来ており、同時に稲も持ちこまれたと思われます。
一方、マレー系民族の故郷のインドネシアのジャワ島では、「2万年前のグヌング・パダン巨石遺構」が知られております。この巨石文化は、全貌が明らかになっておりませんが、世界最古で最大のピラミッドを残しており、世界最古の高度な文明だとも言われております。
これらの情報から推察しますと、ジャワの巨石遺構は、そこに居たマレー系民族が作ったものであり、当時の世界最高の文明であります。そして、その地域に最古の稲品種があったことから推察しますと、その食文化のベースは稲作だったと思われます。
当時の稲作は「河川敷を利用した乾田直播による原始稲作」と思われます。すなわち、乾期に播種し、発芽後、雨期になり増水し、その後、雨期が明け乾期になり稲を収穫するという方法になります。
一方、その遺跡は2.5万年前以上からあるものですが、2万年前という時期は間氷期にあたり、水面が向上し、陸地だった低地は海になっていた時代でした。すなわち、低地の稲栽培は水没のため困難になっていた時代です。このため、低地に居たマレー系民族は移住をよぎなくされていた時代と思われます。
そして、周辺状況を見渡しますと、中国に1.4万年前の稲作遺跡「玉蟾岩(ぎょくせんがん)遺跡」があることが分かっています。これらことから、2万年前~1.4万年前、マレー系民族は稲籾を携えて周辺に移住したと思われます。
そして、日本に1.2万年前の稲の痕跡があることから、日本にもそれ以前から来ており、稲だけでなく、縄文土器、船作りや航海術にも影響を与えた可能性があります。
吉備との関係ですが、稲作遺跡が海岸部にあることから、マレー系民族が船で移住してきた感じがします。その海路ですが、中国南部から朝鮮半島西部を経て、北九州に辿り着き、ついで、瀬戸内方面にも移住し、吉備に辿り着いたと思われます。また、マレー語でKibi(吉備)は叔母(aunt)という意味があり、マレー系民族が残した言葉かもしれません。
これらの関係「マレー系民族の稲伝播経路」を上トップの図に示しました。

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