グヌング・パダン巨石遺構と稲作のルーツ

グヌング・パダン巨石遺構と稲作のルーツ(稲作と日本人)
前回、インドネシアのジャワ島に「2万年前のグヌング・パダン巨石遺構」があることを紹介しました。今回は稲作との関連で、この遺跡を見てみたいと思います。
まず、グヌング・パダン巨石遺構が何かですが、「インドネシアのグヌン・パダンに25000年前のピラミッドか!?」によりますと、次のとおりです。
グヌン・パダンというのも聞き慣れない地名だが、インドネシアの首都ジャカルタの南方80kmほどの山あいだ。地元のことばで、「光の山」または「啓蒙の山」という意味で、聖地となっている。
古くは1914年という第一次世界大戦の頃から調査はされていたが、最近まで自然の丘とされていた。それが、2010年に地質学者のダニー・ヒルマン・ナタウィドジャヤ博士が地中レーダー等の最新機器を用いて、再調査を始めた。すると、人工の巨石構造物が次々と見つかったのだ。
写真でも分かるように、稜線がかなりきれいに角ばっており、ピラミッドの形状をしている。時代は炭素年代法で26,000年前と見られている。山の頂上には、たとえば下の写真のように古代の石のモニュメントが残されている。
エジプトのピラミッドは、通説では4500年ほど前のものだ。異説では10,500年前という説もあるが、それでも倍以上古い。以前書いたボスニアのピラミッドも12,000年~25,000年前と言われており、同じ頃か、世界最古ということになる!
26,000年前というとまだ氷河期で、通説では狩猟採集民しかいなかったことになっている。そのため、ここでも正統派(?)考古学者から発掘調査への多くの妨害が入ったらしいが、現在は順調に調査が進んでいる模様だ。
いずれ、大きなニュースが流れるだろう。(引用終了)
以上の記事をまとめますと、次のようです。
2.5万年前の世界最古の巨大ピラミッドがインドネシアのジャワ島のグヌン・パダンで見つかったが、その遺跡は調査中であり全貌は明らかになっていない。一方、同時代のものとしてボスニアのピラミッド(12,000年~25,000年前)がある。
また、この地域は稲作民族マレー系のルーツでもあります。現在でも、「バリ島やジャワ島はマレー系民族が多数」となっています。
関連し、ジャワ島とバリ島のY染色体ハプログループ分類による民族割合を下に示しました。すなわち、今でもマレー系(ハプログループO1b)は、この地域で多数派です。おそらく、この地域がマレー系グループのルーツと思われます。

一方、稲品種のルーツと関連し、生物資源研究所の研究チームが、稲のDNAを調べ、「最も古いタイプの日本型品種はインドネシアのブル(Bulu)種」であると結論しました。
そこで、以上の一連の記事をまとめますと、次の様になります。
マレー系民族は、居住地のスンダランドでイネを発見し、低地で稲作を行い、2.5万年前頃、巨大なピラミッドを残しました。2万年前頃、間氷期に入り、稲作を行っていた低地が海に沈むと、新たな天地を求め、中国や日本に向かったと思われます。
言い換えますと、マレー系は稲作民族であり、その稲作を周辺の中国、そして日本に伝えたことになります。
関連し、上トップの写真は引用記事に掲載されていたグヌング・パダン遺跡のピラミッドです。

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