岡山県の巨石信仰ルーツ愚考
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レインボー

岡山県の巨石信仰ルーツ愚考(南方系と日本人)
前回、縄文時代(6000年前)の稲作遺跡が岡山県に認められること、関連し、弥生時代の水田稲作も岡山県で盛んだったこと、その稲作のルーツは2.5万年前にインドネシアのグヌング・パダン巨石遺構を残したマレー系の人々にあることについて愚考しました。
一方、岡山県は、稲作遺跡だけでなく巨石信仰も多いことが知られています。ブログ仲間の「神秘と感動の絶景を捜し歩いて」の「『瀬戸内 石の文化を日本遺産に!』 を勝手に応援団します!!」の記事によれば、岡山県を中心に、兵庫県、広島県など瀬戸内に多数の巨石文化がある感じです。
関連し、今回は、岡山県の巨石信仰ルーツについて愚考します。
これまで、岡山県に稲作を持ち込んだのはマレー系民族であること、そのマレー系民族はジャワ島に巨石文化を残したことを検討してきましたが、これらの状況から推察しますと、岡山県の巨石信仰ルーツはマレー系民族が残した可能性が高くなります。
日本の神社形態は奈良時代に発生したと言われます。しかし、その信仰のルーツは縄文時代から有ります。巨石は航海のときの目標となり、自然にできたその洞窟は住居や寝床になってきました。そして、神々しい形態には信仰が深まり、鳥居が付けられ、奈良時代以降、仏教寺の影響で社が建てられたものと思われます。
関連し、拙ブログでは、「鳥居は南方にルーツがありマレー系民族がもたらしたもの」という記事を書いたことがありますが、それは当たっている感じがします。
西日本の巨石信仰にマレー系以外の民族の影響はないのか検討しますと、縄文時代中期以降、日本に居た民族に、多数派のアイヌ系、大陸由来のツングース系(韓国人系、モンゴル人と中国人の混血民族)の2種が居ました。しかし、両者とも西日本に巨石信仰と関係のある遺跡は見当たりません。
一方、日本にはストーンサークルという石造文化がありますが、これは東日本に集中し、「縄文カレンダー説」が有力と拙ブログでは観ています。
以上のことから想像しますと、巨石信仰は稲作と同時にマレー系民族が西日本にもたらしたものと思われます。
もともと、マレー系民族は、インドネシアからアフリカのマダガスカルに移住したことからも想像できますように海洋系民族でもあります。そして、その小柄な特徴は、当時の小さな小船を操るのに都合が良かったかもしれません。彼らは、初めから瀬戸内の海を自由に動き回っていた印象をうけます。
関連し、「瀬戸内の鬼ヶ島伝説」も彼らと関係のあることを拙ブログで指摘したことがあります。因みに、それは女木島のことですが、女木島にも巨石と関係した巨大洞窟が知られております。
また、マレー系民族が通ったと思われる対馬に「宝満宮(与良祖神社)の奥の院」があります。この神社の石階段がインドネシアのグヌング・パダン巨石遺構に大変似ています。もしかしたら、これはマレー系民族の巨石文化の足跡かもしれません。
なお、記事と直接の関係ありませんが、上と下の写真は、マレー系民族国家マダガスカルの公園で見た石像です。何故か、上の男性像はふんどし姿ですが、ふんどしもマレー系民族由来と思われます。
一方、下の写真は婦人像ですが、小柄、丸顔、大きな胸、典型的なマレー系女性ですが、このタイプの女性は日本にもいます。
まとめますと、岡山など西日本の巨石信仰はマレー系民族に辿り着きます。マレー系民族は、稲作だけでなく巨石信仰も残したことになります。また、その民族のDNAは、日本では30%ありますが、丸顔など日本人のなかに垣間見ることができます。


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