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稲作民族が江南地方から大挙移住してきたのか

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レインボー
江南地方からの稲作導入


稲作民族が江南地方から大挙移住してきたのか(稲作と日本人)

水田稲作がマレー系民族によって3000年前頃から北九州で始まったことを検討してきました。一方、日本で出土した稲籾や稲プラントオパールから、その稲品種は日本型であり、江南地方の古代の稲と同じであることが分かってきました。このため、江南地方は日本稲作のルーツとも言われております。

また、弥生時代は、稲作民族が大挙移住してきて始まったとも言われております。

関連し、今回は、江南地方の稲作民族が、その籾を携えて日本(北九州)に大挙して移住してきたのか愚考します。

まず、中国の南部(江南地方)と日本の稲作状況について、Wikipediaの記事を基に下表に示しました。

江南地方と日本の古代稲遺跡

この表をまとめますと、日本の北九州と朝鮮半島南部で水田稲作が始まった頃(3000年前頃)、江南地方には国家としての王朝はありませんでした。一方、北部は周王朝時代で、その影響で、国家建設の動きが江南地方にも出てきた頃と思われます。事実、その後、江南地方に越国(BC600~BC306)が生まれました。

一方、江南地方では、越国以前、多くの稲作関連の遺跡が出ております。これらは長江文明と呼ばれております。まず、16000年前に湖南省の玉蟾岩(ぎょくせんがん)遺跡で稲籾出土が確認されていますが、この頃から稲作が始まったことを感じさせます(上の表参照)。また、9000年前の彭頭山(ほうとうざん)遺跡で稲の散播農法が知られていますが、稲作は直播稲作から始まったことが推察されます。

極め付きは、7000年前の大規模な河姆渡(かぼと)遺跡と思われます。Wikipediaの記事は次のとおりです。

河姆渡文化(かぼとぶんか、拼音: Hémŭdù Wénhuà)は、中国浙江省に紀元前5000年頃-紀元前4500年頃にかけて存在した新石器時代の文化。杭州湾南岸から舟山群島にかけての地域(現在の浙江省東部、寧波市から舟山市)に広がっていた。余姚市の河姆渡鎮(中国語版)の河姆渡遺跡から発見されたことから、河姆渡文化とよばれる。

河姆渡遺跡は1973年に発見され、1973年から74年と1977年から78年の2回にわたり発掘作業が行われた。水稲のモミが大量に発見されたため、人工的かつ大規模に稲の栽培が行われていたことが明らかになった。これは世界でも最古の稲栽培の例である。稲のほかにも、ヒョウタン、ヒシ、ナツメ、ハス、ドングリ、豆などの植物が遺跡から発見されている。その他ヒツジ、シカ、トラ、クマ、サルなどの野生動物や魚などの水生生物、ブタ、イヌ、スイギュウなどの家畜も発見された。
(引用終了)

一方、日本の稲遺跡ですが、それぞれ中国遺跡に対応しています。例えば、鹿児島の1.4万年前の遺跡ですが、その頃、中国では稲作が始まっており、その時期に日本に稲が持ち込まれたと推定できます。

この担い手はマレー系民族と思われます。そして、稲作遺跡は、1万年以上前から中国と日本にあり、稲作民族のマレー系は1万年以上前から日本と江南地方の間を往来していたことになります。

関連し、江南地方と周辺のマレー系民族の割合ですが、Y染色体ハプログループ分類データを下表に示しました。華南全体としてはマレー系(Y染色体ハプログループ O1b)の割合は17%ですが、華南に居るヤヲ族は40%もあり、現在でもマレー系のDNAは先住民族で観るなら高い頻度で中国南部に確認できます。古代は、地域全体のマレー系の割合はもっと高かったと思われます。

江南地方と周辺民族のY染色体ハプログループ分類

まとめますと、稲作民族が稲籾を携えて日本に来たのは事実ですが、稲作と江南地方の関りは長期に渡っており、稲作民族が来た時期について特定はできないと思われます。

また、大挙して来たかですが、前回報告で紹介しましたように、2900年前に北九州で始まった稲作は、その拡大普及が250年間ほとんど進まなかったことが分かっています。これは、江南地方の稲作民族(マレー系)が大挙して日本に移住してきたのではなく、少数の移住者により北九州で始まり、稲作は少しずつ西日本に広がっていったことを示します。

結論として、弥生時代開始時期に稲作民族が大挙して日本に移住してきた事実はないと思われます。

関連し、3000年前の状況を上トップ図に示しました。


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レインボー
Posted byレインボー

Comments 4

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形名
小集団移住

こんばんは。
大挙移住説に含まれるものとしては、かって、呉越の戦いが原因として上げられることもありましたね。私もそれを信じていた時期もあります。最近では、少し視野を広げて、漢族の南下政策の影響を考えていました。徐福ではないですが、華南人は漢族から徐々に逃避を始めていたと。Y染HGのO2南下ですね。でも、稲の渡来が長い期間の交流で行われたとすれば、この考えもやや無理があるかも知れません。一方、華南人との商業的な交流を考えても、彼らが何を求めて危険な航海を行い、九州までやってきたのか疑問があります。交易に値する文化が九州側にあったかという点です。どうも移住の契機はよくわからないけれど、小集団移住を重層的に繰り返したんですかねぇ。

  • 2019/09/06 (Fri) 18:44
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レインボー
レインボー
Re: 形名 様、小集団移住

形名 様
いつも貴重なコメント、ありがとうございます。

水田稲作が3000年前に始まったとすると、ご指摘のとおり、越国の出番がなくなった感じがします。

分らないのは、3000年前から鉄製農具があったのかです。
水田稲作との関連で、もう少し早い普及があると稲作の普及と一致するのかなと思っています。
草々

> こんばんは。
> 大挙移住説に含まれるものとしては、かって、呉越の戦いが原因として上げられることもありましたね。私もそれを信じていた時期もあります。最近では、少し視野を広げて、漢族の南下政策の影響を考えていました。徐福ではないですが、華南人は漢族から徐々に逃避を始めていたと。Y染HGのO2南下ですね。でも、稲の渡来が長い期間の交流で行われたとすれば、この考えもやや無理があるかも知れません。一方、華南人との商業的な交流を考えても、彼らが何を求めて危険な航海を行い、九州までやってきたのか疑問があります。交易に値する文化が九州側にあったかという点です。どうも移住の契機はよくわからないけれど、小集団移住を重層的に繰り返したんですかねぇ。

  • 2019/09/06 (Fri) 22:18
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鳳山
はじめまして

鳳山と申します。私も稲作が江南地方から海路伝わってきたという記事を素人ながら書いたことがあるのですが、偶然このブログを知り非常に感銘を受けました。これからもいろいろ勉強させてください。

  • 2019/09/09 (Mon) 14:12
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レインボー
レインボー
Re: 鳳山 様、はじめまして

鳳山 様
貴重なコメント、ありがとうございます。

非常に感銘を受けました、とは、嬉しいですね。
励みになります。
草々

> 鳳山と申します。私も稲作が江南地方から海路伝わってきたという記事を素人ながら書いたことがあるのですが、偶然このブログを知り非常に感銘を受けました。これからもいろいろ勉強させてください。

  • 2019/09/09 (Mon) 16:24
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