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福岡県はなぜ弥生時代人口が増えたのか

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レインボー
弥生時代における福岡県への人口集中


福岡県はなぜ弥生時代人口が増えたのか(西日本の古代)

前回、弥生時代開始時期に稲作民族が大挙して日本に移住してきた事実はないことを紹介しました。一方、福岡県は、日本で稲作が最初に始まり、弥生時代遺跡数が最大であったことも紹介してきました。

関連し、今回は、稲作民族が来たのは少数でありながら、福岡県の弥生時代遺跡数が最大であった理由について、九州の県別古代遺跡数から検討します。

まず、九州各県の人口変動状況です。

文化庁の参考資料(平成24年度 周知の埋蔵文化財包蔵地数)を基に、九州各県の縄文時代晩期と弥生時代晩期の遺跡数から人口を推定しました。

なお、その資料には縄文時代晩期の遺跡数データはありませんので、おおよその値として、縄文時代は5つの時代に分けられていることから縄文時代の晩期遺跡数は全縄文遺跡数の5分の1の20%としました。人口推定は、Koyama(1987)の方法、すなわち、縄文時代は遺跡数x24人、弥生時代は遺跡数x63人としました。

その結果は下表と下図のとおりです。

九州各県の縄文時代と弥生時代の人口(表)

九州各県の縄文時代と弥生時代の人口(図)

縄文時代晩期(2900年前)から弥生時晩期(1800年前)までの1100年間の人口増大、すなわち「弥生時代人口/縄文時代晩期人口」は、福岡県が66倍、その他の県は4~13倍で、福岡県の人口増大が圧倒的でした。

これを年あたり人口増加率で見ますと、福岡県が1.004、その他が1.001~1.002となっています。この福岡県の人口増大は当時として大きく、二つの要因が考えられます。一つは、稲作導入による食糧増加、もう一つは、隣の3県(長崎、佐賀、熊本)からの移住者が増えたことです。

数値を詳しく検討しますと、これら隣の3県は、縄文時代人口(遺跡数)が福岡よりも多いにもかかわらず、弥生時代人口増大は福岡県の66倍と比べ4~7倍と僅かでした。同じ九州の大分と宮崎の増加(12~13倍)と比較しますと少なすぎますので、縄文人が水田稲作に惹きつけられ、これら隣の3県の住民が福岡県に移住したためと思われます。

拙ブログでは、稲作民族のマレー系が縄文時代から北九州や瀬戸内に居住していたことを指摘してきましたが、これらマレー系の人々が水田稲作に惹きつけられ、周囲から福岡に集中した感じを受けます。同じ民族どうしであったので、これらの移動は困難でなかったと思われます。

以上の状況から推察しますと、福岡県の弥生時代人口増大は稲作開始による自然増と周囲からの移住増で説明が付きます。すなわち、稲作民族が北九州にさえも大挙して大陸から移住してきた可能性は低くなります。

結論として、北九州に来た稲作民族は僅かで、従来からのマレー系の人々の交流交易で水田稲作は徐々に広がっていったと推察されます。そして、中国からの鉄製農具の移入が2300年前頃から知られていますが、この導入は交易の関係から朝鮮半島に近い福岡に集中し、水田稲作普及と一体となって人口が福岡に集中していったことが推察されます。

なお、鉄製農具については、2300年前頃から普及となっていますが、水田稲作普及に不可欠の農具ですので、水田稲作開始と同時に少しずつです普及していった可能性があります。

まとめと関連し、弥生時代における福岡への人口集中の様子を上トップ図に示しました。



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レインボー
Posted byレインボー

Comments 8

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形名
農具

こんにちは。
農耕具の変遷から見た分析については以前本を読んだ事がありますが、鉄製農具は圧倒的に北九州(福岡県と長崎県)が多いようですね。本州では、湿田では木製の農具が優勢です。唐古・鍵遺跡も例外ではない。乾田では鉄製も使われたようですが。もっとも貴重な鉄は、破損しても鋳治して別な部品となるので、農具の形では残りにくいという説もあるようですね。
弥生の九州では鉱石からの製造も考えられますが、やはり大半は鉄インゴットの形での輸入、または半完成品での輸入ですか?

  • 2019/09/11 (Wed) 15:41
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レインボー
レインボー
Re: 形名 様、農具

形名 様
いつも貴重なコメント、ありがとうございます。

鉄製農具ですが、研究が遅れている感じがします。

中国では、本格的普及は春秋時代の2500年前頃からなどと言われておりますが、
研究が進むと、もっと早い時期になるような感じがします。

鉄の弱点は、錆び易いので遺跡に残りにくい点でしょうか。
草々


> こんにちは。
> 農耕具の変遷から見た分析については以前本を読んだ事がありますが、鉄製農具は圧倒的に北九州(福岡県と長崎県)が多いようですね。本州では、湿田では木製の農具が優勢です。唐古・鍵遺跡も例外ではない。乾田では鉄製も使われたようですが。もっとも貴重な鉄は、破損しても鋳治して別な部品となるので、農具の形では残りにくいという説もあるようですね。
> 弥生の九州では鉱石からの製造も考えられますが、やはり大半は鉄インゴットの形での輸入、または半完成品での輸入ですか?

  • 2019/09/11 (Wed) 21:04
  • REPLY
みゅうぽっぽ

初めてコメントさせていただきます。私は実家が福岡なので楽しくブログ、拝見しています。九州は朝鮮半島とも近く、色々な古墳が出てきますね。前実家に帰った時佐賀の吉野ケ里遺跡に行って来ました。とても広く昔の稲作を再現されていました。どんなお味がするのでしょう?またブログ、楽しんで拝見させていただきます。

  • 2019/09/13 (Fri) 08:25
  • REPLY
レインボー
レインボー
Re: みゅうぽっぽさん、感謝

みゅうぽっぽさん
貴重なコメント、ありがとうございます。

嬉しいですね、楽しくブログ拝見していただいているとは。
私は福岡に仕事で4年滞在したことがありますが、たいへん印象深いところでした。
それをブログで表現したいと思っていますが、これからも、よろしくお願いいたします。
草々


> 初めてコメントさせていただきます。私は実家が福岡なので楽しくブログ、拝見しています。九州は朝鮮半島とも近く、色々な古墳が出てきますね。前実家に帰った時佐賀の吉野ケ里遺跡に行って来ました。とても広く昔の稲作を再現されていました。どんなお味がするのでしょう?またブログ、楽しんで拝見させていただきます。

  • 2019/09/13 (Fri) 19:29
  • REPLY
michikusa520

弥生時代の福岡県の人口の多さは、稲作による食料の安定供給が基盤になっていた、ということなのですね。

北九州の勢力は弥生時代、出雲や古志(越)の勢力と連携して近畿や丹後の勢力と敵対していたようですが、こうした戦乱は、鉄や食料といった豊かさへの衝動が欲望へと変わっていくことで生まれる軋轢なのかも知れませんね。

昨今の「自国第一主義」的な風潮がこうした対外抑圧的な思想に変容しないことを祈るばかりです。

  • 2019/09/16 (Mon) 04:03
  • REPLY
レインボー
レインボー
Re: michikusa520さん、

michikusa520 さん
貴重なコメント、ありがとうございます。

「北九州の勢力は弥生時代、出雲や古志(越)の勢力と連携して近畿や丹後の勢力と敵対していたよう」の指摘ですが、戦乱のデータはなく何とも言えないと思います。倭国の大乱のあった時代、北九州以外の地域は、遅れており、比較的平和だった感じをもっています。
草々

> 弥生時代の福岡県の人口の多さは、稲作による食料の安定供給が基盤になっていた、ということなのですね。
>
> 北九州の勢力は弥生時代、出雲や古志(越)の勢力と連携して近畿や丹後の勢力と敵対していたようですが、こうした戦乱は、鉄や食料といった豊かさへの衝動が欲望へと変わっていくことで生まれる軋轢なのかも知れませんね。
>
> 昨今の「自国第一主義」的な風潮がこうした対外抑圧的な思想に変容しないことを祈るばかりです。

  • 2019/09/16 (Mon) 07:52
  • REPLY
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北九州と古志の違いは青銅器文化の有無です。古志は石器文化から鉄器文化にダイレクトに移行しました。古事記によれば、スサノオノミコトは銅剣でヤマタノオロチに立ち向かってます。北九州は4世紀頃まで自前で鉄剣を生産する技術を持ってませんでした。青銅器文化を経由したが故に、鉄器の重要性になかなか気付かなかったのです。
それと北九州は4世紀まで幾つかの国に分裂してました。

レインボー
レインボー
名なしさん、北九州と古志の違い

名なしさん
貴重なコメント、ありがとうございます。

北九州と古志の違いですが、参考にさせていただきます。
草々

> 北九州と古志の違いは青銅器文化の有無です。古志は石器文化から鉄器文化にダイレクトに移行しました。古事記によれば、スサノオノミコトは銅剣でヤマタノオロチに立ち向かってます。北九州は4世紀頃まで自前で鉄剣を生産する技術を持ってませんでした。青銅器文化を経由したが故に、鉄器の重要性になかなか気付かなかったのです。
> それと北九州は4世紀まで幾つかの国に分裂してました。

  • 2019/09/16 (Mon) 22:07
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