まとめ、弥生人は来なかった(日本人のルーツ)
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レインボー

拙ブログでは、Y染色体ハプログループの分類から、日本人は、アイヌ系、マレー系、中国系、モンゴル系などの混合民族であること、そして、各民族の日本への移住時期や経過について愚考してきました。
今回は、まとめとして、各民族と移住時期の関係、そして弥生人は来なかったことについて愚考します。
まず、各民族と移住時期に関して上の表を作りました。この表を説明しますと、次のとおりです。
まず、日本に最初に移住して民族はアイヌ系で、その時期は10万年前頃からと推定されます。2万年前頃から縄文土器を作り、世界に先駆けて定住社会を作りました。また、日本語のルーツ、日本食のルーツ、日本人の自然との共生思想(縄文思想)も、ここに由来します。
次いで日本に移住してきた民族は南方系のマレー系で、その時期は氷河期が終わった1万年前頃と推察されます。アイヌ系と混血し、新縄文人となったと思われます。
新縄文人は、航海能力が高く、5000年前頃の山内丸山遺跡時代の海外交易に貢献しました。また、この過程で稲(陸稲)も導入しました。さらには、その航海能力を生かし、アメリカ大陸にも移住したと思われます。
最後に、中国系とモンゴル系の人たちがツングース系北方民族となって朝鮮半島から移住してきました。この移住は、縄文時代の寒冷化による食料不足が原因で、移動時期は4000年前からと思われます。
この寒冷化した時代、日本の東北では縄文文化衰退のため極端な人口減があり、一方、九州地域においては火山の爆発の影響で人口の増加は停滞しておりました。このため、ツングース系民族の移住は、日本民族の構成に大きな影響を与えました。なお、彼らは畑作民族であり、稲作との関連は薄かったと思われます。
そして、この後、日本民族は、朝鮮半島から鉄の農機具を導入し、水田を開発しました。そして、縄文時代の畑作陸稲は生産性の高い水田稲作に移っていきました。この結果、水田稲作時代の弥生時代、そして、その余剰農産物を背景に古墳時代に移っていったと推察されます。
これらの経過をまとめますと、従来指摘されていた稲作民族(弥生人)は来なかったことになります。
関連し、次回から稲作の導入発展について愚考していきます。なお、下の写真は記事と関係ありませんが、我が菜園で採れた素材を利用した旬野菜料理です。美味しいですぞ(笑)。



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