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関東でなぜ古墳が多いのか

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古墳時代遺跡数の地域差


関東でなぜ古墳が多いのか(関東・東北の古代)

日本の歴史は、鉄器と水田稲作導入発展期のBC500年~AD200年を弥生時代、その後の大王時代~畿内政権確立までの200年~700年(3~7世紀)を古墳時代と分類しています。この古墳時代の関東を見ますと、古墳が他地域よりも突出して多い傾向があります。

関連し、今回は、「関東でなぜ古墳が多いのか」について愚考します。

まず、文化庁の参考資料: 平成24年度 周知の埋蔵文化財包蔵地数によれば、地域別古墳時代遺跡数は上の図のとおりで、関東地域が一番で17166か所、次いで近畿が5499か所、九州が4881か所、中国が4817か所です。

次に、関東でなぜ古墳が多いのか考察しますと、次の二つの理由が考えられます。

一番の理由は、東京の遺跡数の例で紹介しましたが、斜面を利用した横穴古墳遺跡が多いことが考えられます。一般に、斜面を利用した横穴古墳は、盛り土の必要はなく、小人数で作ることができます。

関連し、鬼頭(1996)が推定した725年(奈良時代)人口を用い、古代時代1遺跡数当たり人口(人口/古墳時代遺跡数)を古墳の規模とすると、これらのデータは下表のとおりです。

各地域の古墳時代遺跡数と人口

そして、古墳時代1遺跡当たり人口は下図のとおりです。この図から、関東は1古墳当たり人口が45人と著しく少ない結果となりました。四国の356人を除くと、他地域では100人~200人でした。すなわち、関東の古墳は規模が小さく、作りやすかったことになります。

古墳時代1遺跡当たり人口

二番目に、稲作開始時期の遅れが考えられます。

関東では、神奈川県の「中里遺跡」が最も古い稲作遺跡で、これは2100年前です。このことは、富を生み出す稲作が西日本より200年以上遅れて弥生時代が始まったことになります。

弥生時代というのは水田稲作により余剰農産物が生まれ急速に人口が増大した時代で、200年の遅れというのは大きな差異です。

この結果、地域を支配する強大な大王の発生も遅れ、強力な支配者が居なかったため富の有る者は、西日本で当時流行していた古墳を、小規模ですが自由に作ることができたのではないかと思われます。

因みに、関東最大の全長210mの太田天神山古墳が群馬県にありますが、建造時期は5世紀前半~中期です。一方、西日本では、同程度の古墳は古墳時代前期(3世紀後半~4世紀前半)には建造されています。さらに、太田天神山古墳と同時期の5世紀には、全長300mを越すような世界的巨大古墳が建造され、西日本には強大な王が居たことが推察されています。

次回は、古墳時代における関東の中心地について愚考します。



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