東北の水田稲作は福島から始まった

東北の水田稲作は福島から始まった(関東・東北の古代)
前回、東北に水田稲作情報が入ってきたのは2500年前と早かったが、実際の稲作開始時期は600年遅れの1850年前頃であったと推定しました。
一方、関東の中山間部においては弥生時代に畑作が多かったことを先に指摘しましたが、水田稲作の遅れた東北も同じ状況だった可能性があります。
そこで、今回は、先に検討しました「弥生時代の関東・中部地域の水田作と畑作の割合」と同方法により、東北各県について、弥生時代の水田稲作と畑作の割合について検討し、東北の水田稲作は福島から始まったことについて愚考します。
その前回の方法ですが、「古墳時代遺跡数/弥生時代遺跡数」を算出し、その値が大きいと、弥生時代の水田稲作が発展し古墳が多くなったと判断し、水田稲作の割合が多かったと判断します。逆に、その値が小さいと水田稲作の割合が少なく畑作が多かったと判断します。
データは、「文化庁の参考資料: 平成24年度 周知の埋蔵文化財包蔵地数」を使い、東北各県と隣接する北陸北部(新潟)と関東2県(茨城、栃木)を加えて検討しました。
まず、使ったデータは下表のとおりです。東北では、縄文時代遺跡数は岩手県が最大、弥生時代と古墳時代の遺跡数は福島県が最大です。

そして、各県の弥生時代遺跡数と古墳時代遺跡数の関係は下図のとおりです。この図では、東北では福島だけが飛びぬけて両遺跡が多く、北関東(栃木、茨城)並みの遺跡数となっています。このことは、福島は関東とほぼ同時代に弥生時代、そして古墳時代が始まったことを示唆します。

前々回、福島、栃木、茨城は言葉が似ていて、これら3県は古代から同じような地域だったことを推察しましたが、それは当たっていると思われます。
次に、県別の「古墳時代遺跡数/弥生時代遺跡数」の値の棒グラフを上トップに示しました。
この図から東北は、「古墳時代遺跡数/弥生時代遺跡数」の値が小の北東北3県(青森、岩手、秋田)、中から大の3県(宮城、山形、福島)に分けられます。
また、この結果から、北東北3県は、寒冷地のため稲作が不適地だったことが示唆されます。すなわち、稲作不適のため畑作の方が多かったと判断されます。そして、稲作適地は南東北の福島、中間は山形と宮城と判断されます。
前回、東北は1850年前頃に水田稲作が開始したと推察しましたが、福島の発展が関東とほぼ同じであったことから推察しますと、福島で稲作が始まったのは関東と同時期で2050年前頃、しかし、冷涼気候の関係から、福島を除く東北各県は稲作の定着が遅れたと見るのが妥当と思われます。
まとめますと、東北の水田稲作は、まず福島県で定着し、その流れで古墳も多く作られました。そして、北に行くにつれ、冷涼気候になっていくため水田稲作の適地でなくなり、余剰農産物は少なく、古墳建造も少なくなった、と思われます。なお、水田稲作が少ない県は、代りに畑作が多かったことが予想されます。
次回は、北東北の弥生時代について検討します。

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