関東と東北の古墳建造時期は同じ
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レインボー

関東と東北の古墳建造時期は同じ(関東・東北の古代)
前々回、東北の福島県で水田稲作導入が関東とほぼ同時期だったことを指摘しました。
一方、東北の古墳建造時期ですが、調べますと、こちらも関東とほぼ同じです。
関連し、今回は、古墳時代、関東と東北はほぼ同時進行で進んだことについて愚考します。
まず、古墳時代の大規模古墳の建造と時期ですが、上トップ図に示しました。
東北の最大古墳は宮城県名取市の雷神山古墳で様式は前方後円墳で全長168m、4~5世紀の建造です。一方、関東の最大古墳は群馬県の太田市の天神山古墳で様式は前方後円墳で全長210m、5世紀前半の建造です。両者はほぼ同時期の建造と思われます。
弥生時代の水田稲作導入は、前前回紹介しましたように、茨城、栃木、福島は隣県であり、ほぼ同じように発展したと推察しましたが、古墳時代も同じように発展したと思われます。
次に、東北と隣の県の古墳時代遺跡数を見ますと、下図のとおりです。福島は東北で飛びぬけて多く、その影響は、隣の宮城、そして山形と岩手にも波及している感じです。

因みに、福島県最大の大安場古墳(前方後方墳)の建造時期は4世紀後半、建造時期は関東最大の群馬県の太田天神山古墳(5世紀前半)や茨城県最大の舩塚山古墳(5世紀後半)よりも早く、どちらが先という印象はありません。
まとめますと、東北は、水田稲作の導入が遅れ、遅れた地域の印象がありましたが、弥生文化、そして古墳文化は関東と同時期に伝わりました。そして、東北各県は冷涼気候のため稲作適地の少ない弱点がありましたが、少しの余剰農産物が生まれ、かつ、畑作地帯の少ない余剰農産物も集め、関東とほぼ同時期に古墳建造が進んだと観るのが妥当と思われます。
そして、その背景ですが、関東と東北の古代の一体感は縄文時代の同時発展と関係していると思われます。縄文時代の中心民族は、その文化を作ったアイヌ系と言われておりますが、縄文時代に作られた交易網は弥生時代、古墳時代も続いていたと思われます。
因みに、関東・東北のアイヌ系の割合ですが、最近のDNA研究(Y染色体ハプログループ分類)によればアイヌ系割合は関東で約50%、古代の関東・東北はもっと高かったと思われます。詳しくは「日本人のルーツは、アイヌ、マレー、ツングースの混血」を参照願います。
次回は、「東日本と西日本の弥生時代の水田作と畑作状況」について愚考します。

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