弥生時代の水田作と畑作の割合
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レインボー

弥生時代の水田作と畑作の割合(稲作と日本人)
東京事例から関東で弥生時代に畑作が相当行われていたことを先に紹介しました。これまで、弥生時代のイメージは、水田稲作の導入によって長い縄文時代の停滞から一気に抜け出すことができたという感じが強調されてきました。
しかし、東京遺跡で弥生時代の遺跡数が台地に低地より多かった状況から想像しますと、そうした感じはありません。詳しくは「弥生時代に東京は畑作の方が多かった」 を参照願います。
関連し、今回は、古代の遺跡数の分布から全国の弥生時代の水田作と畑作の割合状況を検討します。
その方法ですが、先に検討しました「弥生時代の関東・中部地域の水田作と畑作の割合」と同方法から推定します。すなわち、「古墳時代遺跡数/弥生時代遺跡数」の値が大きいと、生産性の高い水田作が弥生時代に多く古墳時代遺跡が多くなり、逆に小さいと水田作の割合が少なく古墳時代遺跡が少なくなる、と判断します。
まず、「文化庁の参考資料: 平成24年度 周知の埋蔵文化財包蔵地数」の資料を用い、基礎となる地域別古代遺跡数を下表に示しました。さらに、「古墳時代遺跡数/弥生時代遺跡数」の値も算出しました。

そして、各地域の「古墳時代遺跡数/弥生時代遺跡数」の値の棒グラフ図を上トップに示しました。
まず、この図では、関東について値が大きくなっています。すでに検討しましたように、「古墳時代遺跡数/弥生時代遺跡数」の値が関東では大きい県と小さい県があります。大きい県は平野部が多く水田が多い県、小さい県は山間部が多く水田が少ない(東京、神奈川)県に分類されます。
次に、東北ですが、先に検討しましたように、水田作は、南部で多く、北部でが少なくなります。詳しくは「東北の水田稲作は福島から始まった」を参照願います。
次に、中部と四国ですが、これらは畑作主体、水田は少なく、このため古墳時代遺跡も少ない関係にあると思われます。
次に九州ですが、先に「福岡県はなぜ弥生時代人口が増えたのか」で検討しましたように、水田の多い福岡県(北部)と少ない南部に分類されます。
また、沖縄と北海道は古墳時代遺跡数が少ない特徴があります。これは、弥生時代遺跡はあるが、それは水田遺跡でなく畑作遺跡だったためと思われます。
まとめますと、大雑把な分類となりましたが、結論として、東北南部、関東平野部、北陸、東海、近畿、中国、九州北部は水田稲作が多く、一方、その他の地域は畑作が多いか中間と判断されます。
すなわち、弥生時代は水田稲作が温暖地平坦部などの適地に普及しただけで、全国に普及した時代ではなく、水田稲作と畑作が混在した時代だったと結論されます。そして、先に紹介しましたように、水田作が多くなるのは租庸調税が確立した奈良時代以降と判断されます。
関連し、まとめとして弥生時代の地域分類を下表に示しました。北海道と沖縄を除きますと、いずれの地域も、弥生時代に水田と畑作が行われていたが、その水田の多少が古墳時代遺跡数の地域差となって表れたと思われます。


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