古代人口推定は改訂が必要だ
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レインボー
古代人口推定は改訂が必要だ(古代史の問題)
水田稲作は生産性が畑作よりも高く、このため、拙ブログでは、人口が停滞から増加に向かう時期を稲作開始時期と推測してきました。その古代人口推定については、Koyama (1978)が有名で、これらはWikipedia「近代以前の日本の人口統計」で見ることができますが、発表された年代は1978年で40年前という古い問題があります。
関連し、今回は、1978年に発表されたKoyama の人口推定は改訂が必要であることについて愚考します。
まず、Koyama (1978)の人口推定ですが、遺跡数を基に、縄文時代人口は遺跡数x24人、弥生時代人口は遺跡数×56人となっております。
一方、現在の遺跡数には、「文化庁の参考資料(2012): 平成24年度 周知の埋蔵文化財包蔵地数」が知られています。この2012年の文化庁遺跡数とKoyama (1978)の1遺跡当たり人口を使い、総人口計算しますと下表の新総人口になります。

次に、この新総人口とKoyama(1978)の総人口を比較するため、年代と人口の関係を図に示すと、下図の通りです。この図では、新総人口は、縄文時代晩期(2900年前)から人口が増大しており、実態と合っていません。

このことから、Koyama (1978)の1遺跡当たり人口は、現在の遺跡数から人口を推定する場合には使うことができません。
そこで、Koyama(1978)推定した総人口をそのままにし、「新1遺跡当たり人口=総人口/文化庁の遺跡数」を計算しますと、上の表の計算値になり、新1遺跡当たり人口は、縄文時代は8人、弥生時代は18人となります。
現在の文化庁(2012)の遺跡数がKoyama(1978)の遺跡数の3倍になっている関係から、この新1遺跡当たり人口は、Koyama(1978)の約3分の1となっています。
まとめますと、1978年のデータと比較し遺跡数が最近のデータの3倍以上になっている現状から想像しますと、古代人口の改訂が必要であることは言うまでもありません。
なお、文化庁の遺跡数(2012)ですが、縄文時代は、一般に、早期、前期、中期、後期、晩期の5区分に分かれておりますが、文化庁の遺跡数(2012)データではこれら5区分がまとめられて縄文時代(1データ)しかありません。弥生時代と関連し縄文時代晩期のデータが必要になります。
そこで、拙ブログでは、縄文時代晩期の遺跡数を、Koyama(1978)のデータを基に、それぞれの区分割合を計算し、その割合に応じて文化庁のデータを配分しました。それらのデータは下表のとおりで、表記の文化庁の縄文時代晩期の遺跡数は、この推定値に由来します。


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