魏志倭人伝の倭国の戸数は実態の10倍に誇張されていた
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レインボー

魏志倭人伝の倭国の戸数は実態の10倍に誇張されていた(西日本の古代)
発見遺跡数が増えた現在、古代人口推定に関して、1遺跡当たり人口については、Koyama(1978)の推定は使えないことを先に指摘しました。詳しくは「古代人口推定は改訂が必要だ」を参照願います。
しかし、拙ブログでは、Koyama(1978)の1遺跡当たり人口を使い、邪馬台国の人口を推定したことがあります。
関連し、それを修正する意味で、今回は邪馬台国の人口を再検討します。
まず、文化庁の参考資料(2012): 平成24年度 周知の埋蔵文化財包蔵地数を用い、前回指摘の「弥生時代1遺跡数当たり人口は18人」を使いますと、九州各県の弥生時代人口は下表のとおりです。

魏志倭人伝の内容から、邪馬台国連合の範囲は福岡県、佐賀県、長崎県、そして対立していた南部の狗奴国は熊本県当たり、また、南へ水行20日の投馬国は宮崎当たり、と予想されます。
また、戸数は、魏志倭人伝の情報では、邪馬台国7万、奴国は2万、その他周辺国約6万としますと、邪馬台国連合は戸数15万と予想されます。一方、投馬国は5万となっています。次に、これらの国の人口、戸数、1戸当たり人口をまとめますと、下表のとおりです。

この表から、1戸当たり人口は、邪馬台国連合で0.5人、投馬国で0.6人となります。当時の1戸当たり人口は5~6名程度と予想されますので、この0.5~0.6人という数値は実態と合っていません。すなわち、実態の戸数が10倍に誇張され報告されていたことになります。
そこで、この誇張の理由について調べますと、多くの指摘がありますが、まとめますと次のような感じかと思われます。
まず、邪馬台国ですが、自国を大きく見せ、魏の支援を得るために人口(戸数)を誇張して魏の使者に報告した。
一方、魏ですが、当時、魏は南部の呉と対立しており、そのため、倭国など南方の国々を魏の味方に付けようとして倭国に使者を送った。倭国の人口(実は誇張)は魏の使者には「大国」に見えるため、その目的に合致しており、そのまま報告し、魏志倭人伝に記述されるに至った。
そして、従来のこれらの指摘は矛盾が少なく当たっていると思われます。そして、今回の指摘では、さらに踏み込み、人口が10倍に誇張されていたことになります。この10倍という誇張は、いかにも誇張らしく、本当かもしれません。
関連し、当時の状況を、上トップに示しました。

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