水田稲作は鉄器導入が早かった北九州だけが先行した
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レインボー
水田稲作は鉄器導入が早かった北九州だけが先行した(西日本の古代)
前回、地域では九州だけが水田稲作が先行したことを指摘しました。拙ブログでは、それは九州の中でも北九州だけのことであることを指摘してきました。
関連し、今回は、倭国の地域と言われる北九州(福岡、佐賀、長崎、熊本)とその他の九州(大分、宮崎、鹿児島)に分け、これらの地域の人口変動の違いを検討し、北九州の先行性について愚考します。
方法は、「古代人口推定は改訂が必要だ」と同方法です。すなわち、1遺跡数当たり人口は、縄文時代が8人、弥生時代が18人、古墳時代が129人を使い、人口を推定し、水田稲作開始時期を人口が停滞から増大に転じる時期にしました。
まず、人口推定に用いた遺跡数データと推定人口は下表のとおりです。

次に、人口変動は下図の通りです。

この図から、北九州はBC1000年から人口が増加し、この時期から水田稲作が開始されたと思われます。一方、南九州の人口増加はBC300年頃で、北九州より700年の遅れがあります。
この結果と前回の結果をまとめますと、下表の通りです。

まとめますと、南九州も水田稲作開始は遅れ、中国地域と変りません。すなわち、水田稲作に関し、北九州だけが先行し、その他の地域は約700年以上の遅れがあったことになります。
この遅れの要因は、前回と同じく、水田開発に必要な鉄製農具の導入の遅れと思われます。おそらく北九州だけが、大陸に近い関係から鉄製農具を独占できたこと、さらには、中国南部稲作地域由来のマレー系民族が多かったことも関係していると思われます。

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