古代王国の人口と稲作開始時期
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レインボー
古代王国の人口と稲作開始時期(西日本の古代)
水田稲作は余剰農産物が多く人口増大と関係していることから、人口が停滞から増加に向かう時期を稲作開始時期と拙ブログでは観てきました。
また、日本には4~5世紀頃の古代王国として、倭国(福岡県+佐賀県+長崎県+熊本県)、吉備国(岡山)、出雲国(島根県+鳥取県)、大和国(奈良県+大阪府+滋賀県+京都府)の4か国があったと言われております。これら古代王国は弥生時代の発展、すなわち生産性の高い水田稲作発展の後に人口が増加し、形成されたと思われます。
関連し、今回は、これら古代王国稲作の稲作開始期について検討します。
推定に用いたデータは、「文化庁の参考資料(2012): 平成24年度 周知の埋蔵文化財包蔵地数」の各県データ、および、先の報告「古代人口推定は改訂が必要だ」と同方法です。すなわち、1遺跡数当たり人口は、縄文時代が8人、弥生時代が18人、古墳時代が129人です。
これらのデータを用いた各王国の人口は下表の通りです。

次に、これらの人口と年代を基に各古代王国の人口増大曲線を求めますと下図の通りです。この図では、これまでの報告とほぼ同じです。すなわち、人口が先に進んだのが倭国、次いで吉備、大和、出雲へと続きます。

次に、人口増大時期と邪馬台国時代(1750年前)の人口を観るために、上の図を拡大しますと下図の通りです。

この図から、人口が停滞から増大に向かう時期は、倭国は3000年前、次いで吉備が2200年前、次いで大和が2150年前、出雲が2100年前(BC100年)となります。
また、邪馬台国があった1750年前(西暦250年)頃の人口は、倭国は11万人、次いで大和と吉備が5万人、出雲3万人です。
これらの結果をまとめますと下表のとおりです。

以上の水田稲作開始時期と邪馬台国時代の人口から推察しますと、魏志倭人伝にあります邪馬台国は北九州にあり、その地域は後の倭の5王時代に向かって発展していったと思われます。

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