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継体王時代の各王国の人口と力関係

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継体王と対立国の人口(520年頃)


継体王時代の各王国の人口と力関係(西日本の古代)

前回、出雲の人々のルーツについて検討しましたが、出雲は小国だったため畿内政権に取り込まれたと推定しました。

一方、拙ブログでは、実在する畿内政権(ヤマト王権)は継体王(在位:507-531年)からと観ています。詳しくは「継体王より前の天皇は創作か」を参照願います。

そして、記紀に出雲国と畿内政権の戦いは記載されていないことから想像しますと、出雲国が畿内政権に取り組まれたのは、その継体王時代と思われます。

関連し、今回は、継体王時代の各地域の人口を推定し、出雲国など各王国の力関係について愚行します。

人口推定はいつもの通りです。すなわち、「文化庁の参考資料(2012): 平成24年度 周知の埋蔵文化財包蔵地数」を用い、1遺跡数当たり人口、すなわち、縄文時代は8人、弥生時代は18人、古墳時代は129人を使います。詳しくは「古代人口推定は改訂が必要だ」を参照願います。

まず、使ったデータは下表のとおりです。

継体王と対立国の古代遺跡数

ここでは、地域分類として、継体王支配地域は愛知県、岐阜県、福井県、滋賀県、京都府、大阪府としました。その根拠として、「継体天皇と即位の謎」(大橋信弥 2007、下記写真参照)を参考にしました。また、継体王は王宮を大阪の地に置きましたが、大和には根拠がなかったようですので奈良(大和)は入れませんでした。

なお、奈良の旧勢力も継体王に最後は取り込まれたと思われますが、明確になっていませんので、今回はこれでいきます。

継体天皇と即位の謎(書籍)

その他の地域分類は従来どおりです(上表参照)。

そして、計算された人口は下表の通りです。

継体王と対立国の古代遺跡数と推定人口

この表を基に人口変動を示しますと、下図の通りです。この図から継体王時代(520年頃)の人口を推定し、結果を上トップ図に示しました。

継体王と対立国の人口変動

以上の図表から、継体王時代の人口は、継体王地域で24万人、となりの大和は5万人、出雲は12万人、吉備は16万人、倭国は24万人です。

そして、出雲が畿内政権の継体王と戦わなかった理由ですが、出雲は小国であり、無駄な戦いはしなかったのが最大の理由と思われます。因みに、出雲は人口が12万人、継体地域は24万人です。

また、ブログ仲間の記事「大和の出雲攻略ルート」によれば、3本の出雲攻略ルートがあり、2本は吉備国を通る道です。

このことは、16万人の吉備国は畿内政権に先に取り込まれていたことを示唆します。もし畿内政権と吉備国が連合していたとなると、出雲国の勝つ見込みはわずかです。すなわち、出雲は戦わずして畿内政権に取り込まれていったという説が有力となります。

これらのことについては、次回さらに検討します。



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