天皇家ルーツの解明と古代史俗説の再検討

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5世紀頃の日本 継体王現れる


天皇家ルーツの解明と古代史俗説の再検討(天皇家のルーツと日本文化)

前回、日本建国のリーダー(天皇家)がアイヌ系の継体王であったことを紹介しましたが、このことは古代史の闇に光をあてました。

関連し、今回は、下記3点の俗説の問題を指摘します。

1. 稲作民族の弥生人が弥生時代の主人公となり、その後、日本の支配者になった。

これは間違いです。

事実は、縄文由来のアイヌ系を中心とする日本人が、北九州で始まった水田稲作を受け入れ、弥生時代を発展させ、古代国家を作ったことになります。

なお、稲作を導入した民族はマレー系ですが、彼らは、朝鮮半島のマレー系と同じマレー系Bで、割合は日本人の10%と推察されます。詳しくは前々回の報告を参照願います。

その水田稲作ですが、3000年前頃に北九州だけに広がり、日本全体には700年遅れの2300年前頃普及しました。詳しくは「水田稲作開始は鉄器導入と一致する」を参照願います。
  
2. 稲作民族が弥生時代に渡来してきた結果、先住民族のアイヌ系は北方と南方に追いやられた。

これも間違いです。

事実は、アイヌ系の人びとは、南方由来マレー系や北方由来ツングース系と縄文時代に混合混血し、日本人となり、古代国家の中心民族となり、日本語のルーツもアイヌ語になったと結論されます。詳しくは、前回報告を参照願います。

3. 騎馬民族が来て日本の支配者になった。

これも間違いになります。

騎馬民族と思われるツングース系の人びとは、朝鮮半島から移住してきましたが、アイヌ系民族と混合混血し、日本人になりました。リーダーになった人々は居たと思われますが、日本の支配者とはなっていません。

なお、彼らは、朝鮮半島から鉄器と畑作を導入しました。彼らツングース系の割合は25%になりますが、縄文時代から来ており、実際に弥生時代や古墳時代に来た割合は10%程度と思われます。詳しくは「朝鮮半島由来の日本人は25%と思われる」 を参照願います。

関連し、アイヌ系の大王「継体王」がリーダーになった状況を上トップ図に示しました。



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