日本は2000年にわたり一つの民族か
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レインボー

日本は2000年にわたり一つの民族か(古代史の問題)
東京新聞1月記事(2020.1.14 2面)に、麻生氏また失言「日本2000年にわたり一つの民族、一つの王朝」という小記事が載っていました(上記新聞コピー参照)。
また、反響が大きかったのか、翌日の東京新聞(2020.1.15 2面)では、「麻生氏妄言いつまで」の見出しで、さらに大きな批判記事が出ていました(下記新聞コピー参照)。

こうした保守政治家の発言は時々耳にしますが、この発言は、戦前に作られた日本古代史の虚構そのもので、戦前の歴史観が戦後75年過ぎても変えられていない問題です。この問題は大きく、拙ブログでも検討してきたところです。詳しくは「日本の古代史は戦前と変っていない」 を参照願います。
関連し、今回は、この麻生氏の発言が事実と合っているのか検討します。
まず、東京新聞(2020.1.14 2面)の記事は次のとおりです。
昨年4月に法律として初めてアイヌを「先住民族」と明記した「アイヌ民族支援法」が成立しており、麻生氏の発言は不適切との批判を浴びる可能性がある。(引用終了)
東京新聞の指摘「アイヌ民族も居て日本が一つの民族とは言えない」はそのとおりですが、拙ブログで問題にしたいのは、「日本2000年にわたり一つの民族」の「2000年」の部分です。
拙ブログで何度も指摘していることですが、現天皇の政権は、継体王(在位:507-531年)からです。継体王の前の王(天皇)が記紀に記されておりますが、物的証拠はなく存在は確認されていません。詳しくは「日本統一のさきがけ継体王と倭国の滅亡」を参照願います。
また、最近のDNA情報(Y染色体ハプログループ分類)によれば、天皇のルーツで確認できるのは継体王までで、それ以前の天皇については子孫が確認されていません。詳しくは前々回の報告を参照願います。
また、日本は遣隋使を中国に派遣し、「日本」という国名を使いましたが、日本の地域は、奈良時代直前まで、関東は含まれていません。関東・東北も含めて日本と言われるようになったのは、蝦夷の英雄アテルイが802年に降伏し東北の抵抗がなくなった平安時代初期(9世紀)からです。詳しくは「毛人の国愚考(アイヌ系と日本人)」を参照願います。
これらのことから、琉球地域と北海道を除く地域が日本になったのは約1200年前からです。
また、日本人のルーツですが、これも何度も指摘していることですが、アイヌ系が35%、マレー系が30%、ツングース系が25%、その他10%です。詳しくは「最近のY染色体DNA情報と従来知見の修正」を参照願います。
これらの民族が日本に居住し始めたときは、言葉は違います。とても一つの民族とは言えません。
そこで、これらの民族が混合混血し、何時頃、現日本語に近い言葉が生まれ一つの民族になったかですが、平仮名やカタカナ表記が生まれ、発音が文字化したときが始まりと思われます。それも平安時代と思われますが、詳しくは「日本語のルーツはアイヌ語とマレー語」を参照願います。
以上の最近の資料から判断しますと、麻生氏の「日本2000年にわたり一つの民族、一つの王朝」は、残念ながら史実と異なり、東京新聞指摘のとおり「妄言」になります。

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