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天孫降臨神話ルーツ愚考

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レインボー
天孫降臨神話のルーツ


天孫降臨神話ルーツ愚考(西日本の古代)

拙ブログでは、朝鮮半島古代には、稲作マレー系「百済」と畑作ツングース系「新羅」の2系統があったことを紹介してきました。

一方、大和政権の創った記紀に天孫降臨神話があります。これは多くの学者が指摘していますように大陸由来、すなわち、ツングース系の高句麗や新羅(朝鮮半島)に由来する神話です。

関連し、今回は「天孫降臨神話のルーツ」、そして、大和政権はツングース系側と思われることについて愚考します。

大和政権はツングース系側と思われる理由は次の5点です。

1.日本は、倭国が北九州に先に建国され、これは百済と同じマレー系民族の国家でした。詳しくは「古代の朝鮮半島には2種の民族が居た」を参照願います。

これに対抗したのが、アイヌ系中心の西日本の国々でした。大和政権が事実上始まったのは継体王(在位:507-531年)からですが、出雲と吉備が協力していました。詳しくは「日本統一のさきがけ継体王と倭国の滅亡」を参照願います。

2.歴史的に同民族マレー系の百済を支援してきた北九州の倭国は、白村江の戦い(663年)で唐・新羅連合軍に敗退しました。この結果、朝鮮半島では、百済が滅びツングース系新羅は朝鮮半島の統一に成功しました。一方、日本では同じく倭国が滅び、アイヌ系中心の畿内政権が北九州を含む西日本全域の統一に成功しました。

3.大和政権の事実上の最初の王は継体王(在位:507-531年)ですが、彼は福井の出身でした。福井はツングース系の多い日本海側にありは、ツングース系の影響を受けたと思われます。

また、先に紹介しましたように、同じ日本海側にある出雲は明らかにツングース系の影響を受けた国で、国譲り神話にありますように大和朝廷の日本国統一に協力しています。詳しくは「出雲古代文化のルーツはツングース系」を参照願います。

4.記紀には倭国の存在が抹殺されていますが、これはマレー系民族国家の否定になります。この関係は、朝鮮半島の百済と新羅の対立関係と同じで、ツングース系新羅がマレー系百済を抹殺したことと同じになります。

5.以上のことから、記紀神話を作った時代は奈良時代ですが、その直前に北九州の倭国は滅びます。そのとき、以上の背景から新羅の成功例を参考にし、天孫降臨神話を利用したと思われます。

なお、百済抹殺による新羅の朝鮮半島統一に関連し、百済系住民はどのような扱いを受けてきたのか、詳しくは「百済民族の怨念と光州事件」を参照願います。

以上の5点について、歴史経過をまとめますと、次の通りです。

弥生時代以降、日本には、アイヌ系等の縄文勢力、大陸由来のマレー系、朝鮮半島由来のツングース系の3民族が居ましたが、地の利を生かしマレー系が先に国家を北九州に「倭国」を作りました。

一方、アイヌ系は、縄文時代から居たマレー系とツングース系と混合混血して日本人の中心となり、倭国より遅れて統一国家を建設し、最初の王は継体王(在位:507-531年)となりました。

倭国と畿内政権(大和政権)は、国の統一をめぐり6世紀に対立しますが、決着は尽きませんでした。詳しくは「倭国の磐井王と畿内の継体王と百済の部寧王の関係」 を参照願います。

白村江の戦い(663年)で敗れ倭国が弱体化しますと、時の大和政権は、倭国を滅ぼし、西日本の統一をしました。倭国が滅びますと、畿内政権は強大化しました。奈良時代には、初めての都が建造され、対外関係からも、その建国理念を作る必要に迫られました。

そこで、マレー系の百済を滅ぼしたツングース系新羅を参考に、その天孫降臨神話を導入し、1民族1王朝の建国神話を創設し、倭国はその神話に合わないことから無視・抹殺となりました。

関連し、大和朝廷の導入した天孫降臨神話のルーツを上トップに示しました。



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レインボー
Posted byレインボー

Comments 5

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吟遊紳士

輪の国の成り立ちがとっても面白いです。私は東北の生まれなのですが色白で体毛がやや濃い、アイヌ民族系?などと思っています。

  • 2020/03/27 (Fri) 09:15
  • REPLY
レインボー
レインボー
Re: 吟遊紳士 様

> 輪の国の成り立ちがとっても面白いです。私は東北の生まれなのですが色白で体毛がやや濃い、アイヌ民族系?などと思っています。

〇吟遊紳士 様
 貴重なコメント、ありがとうございます。
 吟遊紳士様のルーツですが、この雰囲気ですと、髭の濃いアイヌ系と色白のツングース系の混血でないかと思われます(笑)。
 早々

  • 2020/03/27 (Fri) 20:19
  • REPLY
吟遊紳士

教えてくださって、ありがとうござます<m(__)m>
自分のルーツが少しわかっただけでも嬉しいです\(^o^)/

  • 2020/03/28 (Sat) 12:09
  • REPLY
形名

レインボーさん、こんばんは。

私も中国文献に出てくる倭国は九州の可能性が高いと思います。後発の畿内ヤマト政権の出自は諸説ありますが、倭国とは別系統というのは賛成です。九州からの東征王朝説などは考えにくいです。笑。

一つ確認しておきたいのですが、北九州北岸、大分沿岸、宮崎沿岸に築造されてる、3~4世紀の九州前期古墳は畿内にある同時代の古墳と相似形であったり、出土物も影響を受けているものがあります。ベクトルはどちらを向いてるかという評価もあるが、九州の多点、畿内の一点を考えると、ヤマト→九州への文化ベクトルの可能性が高いと思います。そうなると、両者が対立する6世紀初頭までは両勢力の関係は良好だったと考えられます。レインボーさんの考えだと、この3~4世紀の時代の大和政権は、レインボーさん説でいう神武政権王朝ですか?それとも、既に継体王朝に繋がる別政権と考えますか?
それから私にも分からないのですが、磐井王は倭国王と考えておられますが、倭国の地勢領域はどのあたりと考えますか?個人的には磐井の勢力圏はそれほど広くないのかと最近思っています。阿蘇のピンク石も産出は厳密には磐井の本拠地ではなく火君の領域に入ります。磐井が劣勢になった時も火君を頼って南下せず、大分方面に逃げたという話もある。日本書紀の信頼性問題はあるが、後の屯倉設置記事を見ても、火君領域を含む九州南部は磐井の勢力下にあったようには思えないのですが。

  • 2020/03/29 (Sun) 19:04
  • REPLY
レインボー
レインボー
Re: 形名 様、西日本の政権

形名様
たいへん貴重なコメント、ありがとうございます。

以下、質問コメントに回答します。

> レインボーさん、こんばんは。
>
> 私も中国文献に出てくる倭国は九州の可能性が高いと思います。後発の畿内ヤマト政権の出自は諸説ありますが、倭国とは別系統というのは賛成です。九州からの東征王朝説などは考えにくいです。笑。
>
> 一つ確認しておきたいのですが、北九州北岸、大分沿岸、宮崎沿岸に築造されてる、3~4世紀の九州前期古墳は畿内にある同時代の古墳と相似形であったり、出土物も影響を受けているものがあります。ベクトルはどちらを向いてるかという評価もあるが、九州の多点、畿内の一点を考えると、ヤマト→九州への文化ベクトルの可能性が高いと思います。そうなると、両者が対立する6世紀初頭までは両勢力の関係は良好だったと考えられます。レインボーさんの考えだと、この3~4世紀の時代の大和政権は、レインボーさん説でいう神武政権王朝ですか?それとも、既に継体王朝に繋がる別政権と考えますか?

〇3~4世紀の時代の大和政権ですが、政権はなかったと思われます。
 政権があったという物的証拠は何もありません。古墳は独立した地方の王の墓と思われます。そして、それらを統合したのが6世紀の継体王と思っております。


> それから私にも分からないのですが、磐井王は倭国王と考えておられますが、倭国の地勢領域はどのあたりと考えますか?個人的には磐井の勢力圏はそれほど広くないのかと最近思っています。阿蘇のピンク石も産出は厳密には磐井の本拠地ではなく火君の領域に入ります。磐井が劣勢になった時も火君を頼って南下せず、大分方面に逃げたという話もある。日本書紀の信頼性問題はあるが、後の屯倉設置記事を見ても、火君領域を含む九州南部は磐井の勢力下にあったようには思えないのですが。

〇倭国の領域ですが、北九州と朝鮮半島南部と判断されます。
 磐井王の時代は、熊本、大分まで支配していたと思われます。阿蘇のピンク石は、磐井王の協力の基、継体王側に運ばれたと理解しております。この頃、磐井王と継体王の力関係は拮抗していたと思われます。

  • 2020/03/29 (Sun) 22:12
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